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取材記事内をタグ「史跡・歴史的建造物」で検索した結果,237件の記事が見つかりました。

曹洞宗 成興寺(じょうこうじ)

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曹洞宗 成興寺
 沿革
 そもそもの成興寺開基は、夢窓国師(京都天竜寺開山)と伝えられ、JR因美線美作河井駅から登る矢筈山上にありました。久しく廃絶していた寺を天文年中(1532~54)に、草苅加賀守衡継が矢筈山頂に居城を築く際、菩提寺として再興しました。(成興寺丸跡あり)
 天正12年(1584)草苅氏退城後、寺も廃址に帰しましたが、文禄3年(1594)に草苅氏の家臣で、小中原の土豪中西孫左衛門が、現在地に再興しました。元禄2年(1689)津山西寺町長安寺三世白善嶺雲和尚が曹洞宗に改めて開山となりました。現住職小倉玄照和尚は、第十三世。(2012年4月21日撮影)文:曹洞宗 成興寺(津山市加茂町小中原41)

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作楽神社のカキツバタの花が綺麗ですね!

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2012年5月13日に津山市神戸(じんご)にある作楽神社の外堀で咲くカキツバタの花が周囲の緑に映えてとっても綺麗でした。そういえば年々増えてきていますね。ここのカキツバタは、住民有志のみなさんがお手入れをされていて、現在約2000株にもなっているそうです。12日~20日午前10時~午後1時にお茶の接待があるそうです。(過去の取材はこちらをご覧ください。)(さくら

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田熊 山頂に位置し祀られている愛宕神社

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2012.4.21
田熊 山頂に位置し祀られている愛宕神社
 広野小学校下の小村池を、東に沿って、田熊上土居方面へ至る坂道をあがると、北側の山頂にある位置に愛宕神社が祀られている。丘陵性の山地のため、軽四自動車ならば、坂道を上りきった所からか上土居西山集落の墓地のあたりから、愛宕神社周辺へ行き着くことができる。
 この辺りは、付近で一番高い山のため、樹木のない南面の展望がよく効く所であり、まことに愛宕の神を祀るにふさわしい場所と言える。福井の新宮山にも、同じく山頂部に小祠の愛宕様が祀られているが、こうした場所の限定は、愛宕の神の特性を考えてのうえと思われる。
 愛宕の神は言うまでもなく、京都市嵯峨の愛宕神社から勧請されたものである。京の愛宕神社は、もともとは、山城と丹羽との国境にあたる鷹峰の地に鎮座し、塞の神としての性格を備えていたといわれている。平安遷都後、比叡山に相対してそびえる愛宕山で祀られた。
 火の神の迦遇槌神(火産霊神)を祭神としていることから、鎮火火災の神、つまり都を火災から守る神として信仰され、ついには王城鎮護の神となって祀られた。やがて、多くの修験者たちが山籠りするようになると、愛宕山伏は諸国を遊行し、火伏せの神としての愛宕信仰を広めた。そして、村々の小高い丘を見つけては、そこに分社分霊を勧請してまわった。事例として、NHKの場合、東京港区の愛宕山にあり、その丘の上には愛宕神社が鎮座している。(文:広野の歴史散歩:宮澤靖彦 編著より)

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2010年5月2日の愛染寺のぼたんの花

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2012年5月2日の愛染寺の牡丹の花です。この日は雨が降っていたのですが、愛染寺の近くまで来ていたので牡丹の花は散ったのか気になって覗いてみました。まだ綺麗に咲いていたので写真に収めてきました。どうです!綺麗でしょ。牡丹桜は散っていました。(過去の取材)(過去のぼたんの花の取材
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津山城(鶴山公園)のつつじと藤の花

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2012年5月6日の津山城(鶴山公園)のつつじです。今年は花のつきがいま少しといったところです。でも色とりどりのつつじが綺麗でした。藤の花はさっぱり咲いていませんでした。少しがっかり!この日はお天気も良くてゆっくりベンチで友人と語り合いました。緑が一杯の津山城(鶴山公園)本丸から見る津山市内はまたいいものです。みなさんもいかがですか?(過去の取材

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清眼寺のぼたんの花が美しい。

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また、今回は2012年4月28日のボタンの花です。まだつぼみが沢山あったので長く楽しめそうでした。この他、愛染寺のぼたんが綺麗でした。(2010年取材)
  清眼寺は、美作88ヶ所第56番札所・美作国七福神毘沙門天霊場として、多くの参拝者で賑わいます。別名ぼたん寺ともいわれ、毎年のぼたん祭りには、色とりどりの美しい大輪の花を咲かせ、参拝者を楽しませています。

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瑠璃山日光院 眞福寺(美作国七福神)

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真福寺(2011.6.24取材) ▲写真2012.4.17取材
 瑠璃山日光院 眞福寺の略歴と沿革
 当山は、天平12年(740)聖武天皇の勅りにより、太古行基菩薩開創し御本尊薬師如来を奉安され、始めは槍原地内に在って萬福寺薬師院と称していたが、現在地へは寛永年間(1624)移築され眞福寺日光院と改めたがその後、付近の火災の飛火に遭って全焼し寛文8年(1668)檀信徒より木材並びに労務の奉仕等により建立されたものです。
 初代清誉上人より今日に至る迄、檀信徒聖霊香華燈明を掲げ、真言密教の寺として法燈を護り伝えて参りました。爾来、375年余の星霜を重ね近年に至っては特に老朽化し、平成5年に議題になり平成7年檀信徒の浄財等により改築を決定した。西暦2000年の節目に完成する。(情報提供:真福寺)美作88カ所霊場会のホームページ

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旧扇形機関車庫内に「津山街なみ展示室」が完成!

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 旧津山扇形機関車庫に津山街なみ展示室が完成し、4月7日から一般公開されました。津山街なみ展示室の中には、扇形機関車庫を実物の150分の1にしたジオラマが展示され、Nゲージの鉄道模型が6通りのプログラムで走行。車両も10車両が走っていて鉄道ファンや子供達にも楽しめそうです。これから半年毎にプログラムを入れ替えながらバージョンアップするそうです。(鉄道模型専門店トレビック模型さん提供)
「みまさかローカル鉄道観光実行委員会」とJR西日本は、土・日を中心に47日間、車庫を一般公開、展示室もこの時に見学できます。無料(要予約)※お問合せはJR西日本岡山支社の見学係(Tel.086-225-1179)

「旧津山扇形機関車庫と懐かしの鉄道展示室」について詳しくはこちら(2012年スケジュール)

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清瀧寺 六十六部 廻国供養と六体地蔵

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清瀧寺仁王門に隣接した東の土手際に、江戸時代の民間信仰を代表する地蔵の石塔や大日如来、六十六部廻国供養等の供養塔がある。
多数現存している大日如来の供養塔については、後述するとして、時折散見される六十六部の廻国供養塔に注目したい。
清瀧寺の供養塔には、「宝永五戌 祈 願主 (梵字)六十六部廻国供養 十一月十八 春教」とある。六十六部とは、俗に六部とも言われ、本来は厨子を背負い、書写した衆生救済の法華経を全国66ヶ国の霊場に一部ずつ納める目的で、諸国の社寺を遍歴して廻る行脚僧のことである。鎌倉時代末期に始まっているが、江戸時代には俗人も行い次第に大衆化した。男女とも白地の木綿の着物に、手甲、甲掛、股引、脚絆といった巡礼姿で鉦を叩き、鈴を鳴らして巡回した。
宝永5年(1708年)といえば、江戸時代半ば、大阪~東海で大地震があり、富士山が大噴火した惨害の翌年であり、春教という行脚僧の心境がしのばれる。(2012.3.21)

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河面 墨池山(ぼくちざん)清瀧寺と仁王門

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 河面にある清瀧寺は、作州きっての古い真言宗のお寺である。(お寺シリーズ、レポート記事
旧「岡山県勝田郡誌」(初版 大正元年)に、「本郡には役の小角夙に来り聖武の朝国分寺を建てられ又行基来り空海来り圓仁来り各寺院を創造す 故に古来巨刹多く宗派は真言を最多とす天台之に亞ぐ」と記述されているように、真言宗の清瀧寺は、まさに、弘法大師(空海)ゆかりの古刹とされている。
 空海が唐の都長安で修行に励んだ寺は、青龍寺であり、ゆかりの寺院名称であるうえに、寺伝によると、平安時代初期の弘仁12年(821年)、嵯峨天皇が弘法大師に命ぜられて建立されたとされている。墨池山というのも、雨乞いの加持祈祷を行った弘法大師が、自らその筆を洗ったという「墨の池」も伝説にちなんでの山号であり、今も伝説の墨池という小池が残されている。
 清瀧寺の往古は、広大な七堂伽藍をようして、多くの僧坊があり、西光寺・真福寺など7カ寺の末寺を持つほど栄えたらしいが、中世戦乱に巻き込まれ、やがて廃絶したと言われている。(2012.3.20)

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