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取材記事内をタグ「史跡・歴史的建造物」で検索した結果,237件の記事が見つかりました。

青柳神社(津山市加茂)

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青柳神社
御祭神 天照大神荒魂 金山彦命 天日筒男命
例大祭 十月十日
中祭  春祭四月 夏祭七月 冬至祭十二月
由緒・沿革
 本神社の創建由緒は不詳であるが、古人伝え云ふ。
天平勝宝年中(749~56年)直金を掘収したが失敗し、片金山の柳神社に祈願したところ、金山彦命、天日筒男命を奉賽せよと告げられ、柳神社を相殿として宮殿を造り、社号を中山神社としたのが其の起源である云われている。
 又、美作六十六社の一社であり、寛文8年(1668) に再建したとも云われている。「作陽誌」にも中山神社とあり外に国司大明神が祭られていたと云ふ。
 其の後、明治6年(1874)青柳神社と改称し、同9年、金山彦命、天照大神荒魂、天日筒男命を合祀して村社に列せられた。明治42年に大字青柳内の水分神社、経津主神社、伊勢神社、滝神社を合祀した。大正2年、時の流れに依り、上加茂神社(現千盤神社)に合祀された。
 それ以前は現在地より上の段に双殿として奉賽されていた。現在の本殿は其の一つの宮殿であった。それ以来、遥拝所となり昭和24年再び旧宮山に遷座奉賽される。
 平成6年10月、本殿、拝殿等老朽化が激しく、敷地を新しく造成し、本殿の修復、上屋・拝殿を氏子の浄財寄進等により、造営する。
平成9年6月吉日 氏子中  (2012年9月20日取材)(文:案内板より)

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岡松山 福善寺(加茂河井)

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岡松山 福善寺(加茂町史より抜粋)

 当寺は河井にあって、岡松山福善寺と号し、古義真言宗(本山京都大覚寺)の中本山円通寺(鏡野町)の末社であり、本尊は薬師如来である。

 開基は不明である。寛政元年(1789)に堂宇は全焼し。同4年に再建した(『苫田郡詩』)

本尊薬師如来は坐長二尺五寸、脇立阿弥陀大師は二尺五寸で、いずれも作者不明であるが、文化十二年(1815)の『東作誌』に記されているものである。檀徒数は、昭和2年に75戸(『苫田郡詩』)。2012年9月20日取材(文:加茂町史より抜粋)

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龍王山 金剛寺(津山市西上)

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金剛寺は1000余年の歴史を持つ真言宗のお寺で、開祖は第三代天台座主の円仁阿闍梨(慈覚大師)。
円仁阿闍梨は、天台宗を開いた最澄の愛弟子であり、最後の遣唐僧として天台宗を完成させました。日本で最初に朝廷から「大師」の名を授かった人であり、日本各地に多数の寺を開山されております。そのうちのひとつが、龍王山 金剛寺です。
開山のいわれ 
金剛寺 第四世 玉林院宗盛法印により 延宝五年(丁巳)卯月朔日 記載
 今から約1000年ほど前に、貞観年中に比叡山第三世の僧、円仁阿闍梨という僧が、中国地方を行脚し、新野村 (現在の津山市 西上・西中・西下にあたる) に一宿されました。
 そのとき、ある主人から
  「この頃、山のふもとに光るものが出る」
ということを聞かされ、不思議に思って行ってみたところ、丈5寸(長さ15センチほど)の聖観音様がゆったりと石の上に立っておられ、そのそばに一人の翁が灯明を捧げておりました。
阿闍梨は「なにゆえここに居られるのか?」と問われました。
翁、答えていわく
 「この観音菩薩は、九ヶ月以前に辰巳のほうより一人の行者持ち来たり、利益のある菩薩から、これを護ってくださる人を待っておった。我はこの山の主、龍王なり。」といい、峰に昇り去りました。
 円仁阿闍梨は早速信者を集め、力をあわせて伽藍を建立し皆と共に信仰することとなりました。その寺を「龍王山 金剛寺」 と名づけ、神仏を祀り諸々の供養をしたりしているうちに、円仁阿闍梨は、再び諸国行脚の旅に出られました。
 その後、観音堂は月覚聖人、掘坂村の内村宗盛を経て、楠木氏後胤、大先達玉林院智観法印よりその子孫に受け継がれ続け、第十七世となる現住職まで続いている。(情報提供:龍王山 金剛寺)
龍王山 金剛寺 〒708-1221 岡山県津山市西上502
電話0868-36-5738/HPはこちらです。 (2012年10月2日取材)

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妙法山 経王寺(津山市下野田)

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 山号は妙法山、日蓮宗・日蓮宗津山妙法寺の末寺でした。『下野田誌』によれば、本尊は三宝尊・宗祖尊像です。天正(1573~92)のころ、宇喜多氏の老職をつとめた岡豊前守家利が植月中村(現勝央町)小山の堡(宮城城)に住み、元亀時代(1570~73)に討ち死にした親せきや家来の菩提を弔うため、京都の日蓮宗妙顕寺に請願して宮山城跡の下に寺を建立し、妙法山経王寺と号しました。そののち本寺を下野田村に移転しました。(勝北町誌「神社と寺院」より)2012年9月28日・10月2日取材

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物見神社の花祭り(岡山県指定重要無形民俗文化財)

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 物見神社の花まつりは、氏子が五穀豊穣を感謝し、家内安全などを祈願して造花を奉納し、御神幸に彩りを添える行事です。

 物見は3地区あり、傘型の花は、各地区で桜・柳・梅の3種類にわかれています。各地区の村人がそれぞれの地区に集まり、手分けして1日がかりで、柳・竹・色紙などを使い、趣向をこらして作成するもので、大人1人では支えられないくらいの重さのものです。作られた花は、祭り当日の朝、組み立てられ神社に奉納されます。午後、お旅所での神事の後、境内で太鼓の合図と同時に参拝者が取り合って持ち帰り、厄除けとして飾っておきます。また、輪にして屋根の上に乗せておくと火除けになると言われています。(県指定重要無形文化財)

※花の取り合いが終わった後、境内下の運動場で餅投げが行われます。又、前日の夜と、当日の午前中、だんじりに子どもを乗せて、物見ゼンチクをまわります。(今年は小雨が降ってもち投げは境内でなされました。)2012.10.28日取材(文:加茂観光センターより)


 物見神社は大正二年四月二十二日、浦栲の素盞鳴神社、天満神社境内にあった稲荷神社を合祀して旧天満神社跡にまつり、大字物見の名称を社号とした新しい氏神であり、祭日は四月十八日であった。その後、昭和二十四年、上加茂神社に合祀された旧氏神の天満神社を遷座して今日に至っている。2012.10.28取材(文:加茂町史より)


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物見神社(加茂)

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 物見神社は大正二年四月二十二日、浦栲の素盞鳴神社、天満神社境内にあった稲荷神社を合祀して旧天満神社跡にまつり、大字物見の名称を社号とした新しい氏神であり、祭日は四月十八日であった。その後、昭和二十四年、上加茂神社に合祀された旧氏神の天満神社を遷座して今日に至っている。氏子数は現在65戸で、祭日は十月二十五日である。

 なお、物見の秋祭りは注目に値する。花祭りとも呼ばれ、物見の三土居が、木箱、麦わら、川柳の枝、細い割り竹、色紙、大豆、藷で作られた、いわゆる「花」を奉納し、御神幸の先頭を飾る。御神幸の帰途、この「花」を打ち振り、打ち合い、氏子は「花」に飾ってある品々をわれ勝ちにと奪い合い、持ち帰って神棚・床にまつって、五穀豊穣を感謝し、家内安全を祈願する。また、魔除けだといって屋根に投げておいたりする。秋を彩る華麗な祭典であり、岡山県重要文化財に指定されている。(文:加茂町史より抜粋)2012.9.20取材

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2012年10月1日 衆楽園の観月会

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2012年10月1日(月)午後5時開会・衆楽園(迎賓館とその周辺広場)

2012衆楽園の観月会ー満月の衆楽園に邦楽とオカリナ・ベトナムの琴が鳴るー

中秋の名月には、これまで各地で様々な催しが行われてきました。今年も衆楽園を会場に、邦楽(琴・尺八)とオカリナ、ベトナムの民俗楽器ダンチャイン(16弦琴)の演奏が、一層、観月会にふさわしい空気を醸し出してくれました。また、今年は武蔵の里お通笛の会をお招きして、優雅な篠笛の音色を楽しみました。演奏を聴き、お茶をいただきながら俳句をひねり、ちょっと贅沢な気分で観月句会を楽しみました。主催/2012衆楽園の観月会、協力/津山市観光協会、講演/津山市・津山市教育委員会・山陽新聞社津山支社、津山朝日新聞社

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田熊 集落に散在の荒神様、大町・横尾の荒神社

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田熊 集落に散在の荒神様(上の写真は大町荒神社)
 荒神様は、作州の農村では、身近に祀られている神様である。田熊あたりでは、大町、下木(合祀済)、上土居、中土居、後土居(亀割神社)、福井分であるが、隣接している横尾とほとんど小部落ごとに存在している。津山市全体では、かつては数百社以上の荒神様があったであろうと見なされ、当地方で一番多い神様が荒神様と言われている。(岸本佳一氏「津山朝日」H5.7.14)
 下木の磐座に位置している北向き荒神社を除くと、どれもが集落の中ほどか、家と離れていても、数十mの範囲の身近な存在の神様である。その好事例は、大町の荒神社であり、家の近くの、フロに相当する薮の中に小祠で祀られている。横尾の荒神様には、明和2年(1765年)から、天明3年、寛政6年、文化5年、嘉永4年、文久元年、そして明治以降と十数枚の棟札が納めてあり、江戸時代半ばから連綿と続いている荒神信仰が伺われる。
2012年9月9日(日)取材(文:広野の歴史散歩 宮澤靖彦編著より)

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加茂神社には崇道天皇の御陵がある。

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加茂神社由緒
鎮座地 津山市加茂町公郷字菊水山1,399番地
御祭神 味鋤高日子根命/伊弉諾命/大山咋命/伊弉册命
配祀  大巳貴命/崇道天皇
祭日  大祭 例祭 10月第2日曜日/祈年祭 4月29日/夏越祭 7月25日に近い土曜日/新穀感謝祭 11月25日に近い日曜日
本殿  流造
末社  八幡神社、御先神社、美保神社、英霊神社、養老神社、若宮神社、天満神社
 本社は、旧杉大明神と称し勧請年月興廃の沿革等不詳なりといえども、古昔より古老の口碑によれば往古苫北郡と称する時一ノ宮と尊崇される。桓武天皇の弟早良親王の御陵あるを以て崇道天皇と改称する。
 明治6年2月加茂神社と改称し、尚、能野神社、元公郷上分字高場に、又、日吉神社公郷下分字日野目に古昔より鎮座ありしを明治42年5月2日本神社に合祀した。昭和7年7月7日雷火の為炎上し同8年4月再建立する。昭和43年3月26日、加茂町指定文化財に指定された第一号秋草双雀鏡は青銅の鏡(平安時代)で境内裏山から明治15年に発掘されたものです。加茂町観光協会協賛 (看板より)2012年8月22日取材

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