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取材記事内をタグ「行事(市民向け)」で検索した結果,101件の記事が見つかりました。

津山市吉見にある志見山 岩尾寺で盛大な御開帳がありました。

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 2012年11月3日、志見山 岩尾寺で御開帳がありました。


※開帳(かいちょう)とは、仏教寺院で本尊をはじめとする仏像について、その像を安置するお堂や厨子の扉を開いて拝観できるようにすること。

普段秘仏となっている仏像を公開する周期は、縁日など毎年特定の日に開帳する寺院もあれば、数年から数十年に一度特定の日にしか開帳しない寺院もあり、開帳の間隔は寺院によってさまざまである。2011年5月の岩尾寺の様子

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新野まつり(岡山県重要無形民俗文化財)

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2012年11月3日(土)「新野まつり」がありました。

新野まつり
作州三大まつりの一つに数えられる「新野まつり」は、新野山形の八幡宮を親神様として二松・天穂日・天津・天満神社の氏子たちが御輿をかつぎ、稲塚野の神事場に集まって豊穣の秋を祝い、新野郷すべての人々が喜びを確かめあい励ましあう一郷一所の大祭である。各神社の社伝は古く伝承行事もさまざまであるが、まつりの形態が今日のように郷土団結の様子を整えてきたのはおよそ室町期の頃であると推定されている。
 素朴な農民の心が大切にされ、今日まで受け継がれていることは吾が町・勝北の誇りである。祭日十一月三日

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2012年 美作総社宮の秋祭りがありました。

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2012年10月15日、美作総社宮の秋祭りが執り行われました。

 宮の略記:今を遡ること千四百年以上前の事ですが、欽明天皇の御代二十五年、大己貴命(オナムチノミコト=大国主命)を御主祭神として御祀りされたのがそもそもの始まりでございます。当初は、現在地よりも西の神楽尾公園の下あたりに祀られていたらしく、現在の場所にお遷しされたのは、元明天皇の御代、和銅六年に備前の国より美作の国が別れ、この地に国府が置かれ、相殿(アイドノ・同じ社殿内)に一宮(中山神社)の神と二宮(高野神社)の神を始めとして、美作の国九百十二社の神を合祀(ゴウシ)され、始めて総社宮と言う御社名が付けられたそうです。
 古くは国司等が祭典ごとに参列し、美作の国の総鎮守神として、地域内はもとより、国中の人々がこぞって参拝していたとのことです。
 その後、永禄五年(四百三十四年前)には、毛利元就公が今の御本殿の原型を造営され、社領をも寄進されました。元和八年には、森忠政公が、また明暦三年には森長継公が大修理を行いました。
 時は過ぎ、明治の時代になり、全国の総社の中で、当社のみが国宝に指定されました。

 指定の理由は、建築様式、彫刻などは言うまでもありませんが、御本殿本柱十六本の根元に、約一寸二・三分の根空が十文字に刻んであることです。理学博士・川村清一氏の発見に関わるもので、当時の大工が防虫に意を注いで刻んだものであります。全国の神社では、日光東照宮、大和談山神社の山門と当総社宮本殿の三ヶ所に在るのみだそうです。法改正により現在は国重要文化財に指定されていますが、国の宝、美作の地区の宝・氏子の宝であります。(文:美作総社宮造営記念誌より抜粋)前回の取材はこちら

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第15回「さら山時代祭」が執り行われました。

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2012年11月4日、第15回歩いてみんちゃいさら山「さら山時代祭」が執り行われました。小雨降る中、出雲街道うぉ~きんぐ、喜楽童のライブコンサート等などのイベントも行われたそうです。上の写真は鳴子と風鈴と風船で鮮やかに飾られたカキ谷古墳広場の様子。(写真提供:さら山時代まつり実行委員会・津山市秘書広報室)

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23回目 津山城東むかし町(2012年11月4日)

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 2012年11月4日に23回目の「津山城東むかし町」のイベントがありました。

このイベントは、城下町の構造や長屋形式の町家が多く残る伝統的な町並みがつづく城東町並み保存地区で毎年あります。当日は屋台村や様々なイベントが盛り沢山あり、大勢の人出で賑わっていました。

この日、城東地区は歩行者天国(9時から17時)ということもあり、小路などぶらぶら歩きながら城東地区を散策しました。そして、今年もまた新しい発見がありました。

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2012年 徳守神社の秋まつり

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徳守神社の秋祭りが2012年10月28日(日)・《宵祭り:10月27日(土)》ありました。例祭(10月第4日曜日)では、神輿ご巡幸に供奉を加えて、行列の長さが500メートルにも及ぶ時代絵巻が繰り広げられます。 このように長年市民に親しまれている行事であり、津山の誇れる文化遺産として評価され、平成10年8月4日に津山市教育委員会より、有形民俗文化財の指定を受けました。
大御輿は、日本三大大御輿の一つと云われており、縦、横1.7m、高さ2.8m、重さ1tに及び、交替要員を含め150名の人員が必要とされ、近隣に類例のない大きさを有していいます。

その大きさと美麗さから、日本三大神輿のひとつといわれていますが根拠は不明です。(写真提供:津山市秘書広報室)

お問合せ:徳守神社(津山市宮脇町5 TEL 0868-22-9532)

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物見神社の花祭り(岡山県指定重要無形民俗文化財)

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 物見神社の花まつりは、氏子が五穀豊穣を感謝し、家内安全などを祈願して造花を奉納し、御神幸に彩りを添える行事です。

 物見は3地区あり、傘型の花は、各地区で桜・柳・梅の3種類にわかれています。各地区の村人がそれぞれの地区に集まり、手分けして1日がかりで、柳・竹・色紙などを使い、趣向をこらして作成するもので、大人1人では支えられないくらいの重さのものです。作られた花は、祭り当日の朝、組み立てられ神社に奉納されます。午後、お旅所での神事の後、境内で太鼓の合図と同時に参拝者が取り合って持ち帰り、厄除けとして飾っておきます。また、輪にして屋根の上に乗せておくと火除けになると言われています。(県指定重要無形文化財)

※花の取り合いが終わった後、境内下の運動場で餅投げが行われます。又、前日の夜と、当日の午前中、だんじりに子どもを乗せて、物見ゼンチクをまわります。(今年は小雨が降ってもち投げは境内でなされました。)2012.10.28日取材(文:加茂観光センターより)


 物見神社は大正二年四月二十二日、浦栲の素盞鳴神社、天満神社境内にあった稲荷神社を合祀して旧天満神社跡にまつり、大字物見の名称を社号とした新しい氏神であり、祭日は四月十八日であった。その後、昭和二十四年、上加茂神社に合祀された旧氏神の天満神社を遷座して今日に至っている。2012.10.28取材(文:加茂町史より)


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城西まるごとフェアー2012

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2012年10月17日(日)10:00~16:00に、2012年第17回津山城西まるごと博物館フェアが「手仕事のまちが蘇る アート&クラフト展」と題して作州民芸館周辺で執り行われました。当日は売り切れ御免でクラフト展、模擬店広場(城西のなつかしい味が大集合)、城西お宝さがし、ミルクホール、木工教室、西小学校図画展示、作州絣の実演・体験。また、城西浪漫館ではカフエ、むかし話の部屋、西小科学教室、城西レトロ市場、ステージ広場ではちびっこ達が大活躍などなど盛り沢山のイベントでした。

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さくらアートクラブの初作品展です。

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社会就労センター・さくらワークヒルズ利用者でつくる「さくらアートクラブ」の第1回作品展が2012年9月29日と30日にソシオ1番街のまちなかサロン再々で開かれました。10歳~40歳までの利用者が90点の作品を展示されており、可愛い作品や元気いっぱいの絵が描かれてとってもよかったです。

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ホルモンうどん研究会in津山納涼ごんごまつり

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「津山納涼ごんごまつりin吉井川」平成24年8月4日(土)・5日(日)午後5時から
 吉井川河岸緑地公園 高瀬船発着場跡付近に「津山ホルモンうどん研究会」さんが出店されていました。当日はオリンピックの観戦をしばし忘れて大勢の人出があり、大盛況でした。津山ホルモンうどんはメンバーの連携作業で完売となりました。猛暑の中みなさんお疲れ様でした。

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