貴布禰神社(桑上) 霜月狼宮大祭 

貴布禰神社(桑上) 霜月狼宮大祭(2009.12.13)

▲狼様

貴布禰神社では、境内の奥御前神社(狼様)が有名である。
  奥御前神社の社殿の裏に丸い穴があけてあり、参拝者がここに食塩を供える習慣になっている。食塩だから板がただれて、あたかも狼の毛がくっついたかのようになっている。また、その近くに斑紋のある石がおいてあって、この斑紋が狼の足跡だとされ、霊験あらたかな神様であるので、作州一円に有名であった。この神様を自分の家に勧請して一年間一家の安全を願うようになっている。毎年12月13・14・15日の3日間のお祭りの時、家々に勧請した狼様を元に納め、新たに勧請して家々に持って帰るのである。
  狼様はミサキ信仰といわれている。ミサキは、神の使者であり悪い霊を追い払い、とりしずめる強い霊力を持っていると考えられた。
  ミサキ(神の使者)として、サル、キツネ、オオカミ、ヘビなどがある。貴布禰神社のミサキはオオカミである。奥御前神社の社殿の穴は北西の方向に開いている。狼様信仰は大山の北にある船上山に本社があり、穴はそちらの方向を向いている

▲この穴は狼の通り道である。

▲狼の足跡といわれている斑紋。

▲奥御前神社(狼様)

▲狼様の通り道

▲狼様

昔は酒の飲み放題で、よっぱらって周りで寝ていたもんです。それが14、15年前から交通事情もあって甘酒になったそうです。

この日は、狼が子供を産みに来る日だそうです。

狼は塩が大好きと言う事もあって塩を供えるのだそうです。また塩は身を清めるの意味もあって周りに置くのだそうです。

神社は左から回るのですよ。と注意を受けました。右から回るのは死者の時だそうです。

★京都の貴船神社は絵馬の発祥の地でもあり、恋の神様として有名です。
絵馬の起源
  日本では古くから馬は神の乗り物とされ、神輿が登場する以前は神霊の移動時は、神霊のよりしろである鏡を榊に乗せて、それを馬の背に立てて行はれた。
神聖視された馬は、神事、祈願の祭事に奉納された。
古くは中国の風習にならって生贄とされたが、その後に禁じられた。
「日本紀略」819年(弘仁10年)6月の条には、止め雨祈願の為丹生川上社(奈良県)・貴布禰社(京都府)に白馬が献上されたという記事がみられる。 
また948年(天暦2年)祈雨祈願に黒馬を献上したと記されている。
献上にさいし、計資料が無いならば板立て馬を献上せよと命じた文章が収められている。絵馬の発祥には、経済的な理由が大きかったと伺えられる。
こうした生贄の廃止に伴う生き馬の献上はやがて、土製あるいは木製の馬形となり、さらに簡素化され板馬(板で馬の形を作った物)の奉納に変化してきた。この板馬が、絵馬の起源であろうと言われている。

  貴布禰神社・総代会より、お子様に絵馬をお送りさせて頂きます。これに来年の希望をお書きいただき奉納ください。
  当神社の本宮(京都市左京区貴船:貴船神社)は絵馬の発祥の地として全国に知られています。ご存知でしたか? 
  特に水の神様・恋の願就として有名です。

▲貴布禰神社(桑上)(2009.12.13)

 崇神天皇時代の創建ともいわれるが不明である。おそらく、倭文庄が、賀茂社の荘園になった頃(11世紀末)、京都の貴船神社(当時は賀茂社の摂社であった)を勧請したのではないかと考えられる。
  主祭神は、タカオカミ・クラオカミである。この神は竜神で水や雨を司るといわれている。

▲裏参道の鳥居

▲境内のどんぐり

▲苔むして


貴布禰神社

岡山県津山市桑上190

情報提供:貴布禰神社

▲屋台風景

▲植木屋さん

▲お参りの様子

▲甘酒が振舞われます。

▲表参道の鳥居

▲表参道

▲裏参道

▲右は旭町へ、左は表参道へ続く道