「徳守神社」

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▲徳守神社社殿正面門から
  徳守神社は天平5年に創建されたといわれ、戦国時代に兵火を被り荒廃してしまいましたが、慶長9年森忠政が社殿を造営し城下の総鎮守としました。現在の本殿は寛文4年森長継が再建したもので、桃山期の建築様式を華麗に発展させた江戸時代初期の代表的な中山造の建築です。(昭和31年4月1日県指定)

「徳守」の社号は勅使として参向した清閑寺大納言藤原徳守の名に因むといわれるが定かではない。

▲正面門の扉

▲灯篭

▲これなに?

日露戦争の「大砲の弾」がのっていたそうです。

▲イチョウの木

▲北側の門を入るとすぐある木です。

▲徳守会館があります。

これは、旧津山高等女学校「温故館を移築してきたそうです。旧津山高等女学校のなごりはこの建物だけになったそうです。

▲会館横のお便所

▲正面の門

▲門の裏側

▲拝殿南口

▲本殿

▲社務所

▲社務所横の門

▲徳守神社南側

▲本殿北側です。

▲徳守神社の北側の門で宮脇町へつづく。


宮脇町
  徳守神社のある町としてこの町名がある。徳守宮は津山城下の総鎮守であったが、城下の西端として位置づけられたので、当然に防衛的施設としての構えをとっている。
そのため当初は周辺に武家屋敷を配し、商家は坪井町までであった。それが平和が続くようになり、しだいに商業が発達して、宮脇町も士邸が商家へ変わっていった。
  西は、いだ田川を境界とするが、そこにかかる翁橋(おぎなばし)のたもとが、少し広くなっている。ここに大番所や制札場がつくられ、西の関門となった。明治になると人力車の帳場が出来たり小学校が建ったときもある。

▲宮脇町

▲宮脇町


▲手水舎

▲赤穂47士の1人神崎与五郎則休の歌碑
「海山は中にありとも神垣の隔てぬ影や秋の夜の月」があるが神崎与五郎はもと津山藩士であり徳守神社を深く信仰していた事が伺い知れる

★境内神社
本殿は正面三間 側面三間の中山造り(入母屋造り、妻入型式)で正面に唐破風の向拝をつけています。
そして軒回りにはみごとな彫刻の装飾がなされており
幣殿(釣殿)拝殿も同時期の建物として現存していることなどから、近世初期の優れた神社建築として昭和31年に、県の重要文化財として指定されています。
また境内には御本殿を中心として以下の境内社が鎮座。

住吉神社
恵毘須神社・福寿幸神社
大国主神社
善神社(お花宮)
稲荷神社
鹿島・香取神社
春日・八幡・荒神社
薬祖神社・秋葉神社
陰陽二柱神社
荒神社
八幡神社
塞神社
若宮


▲これなに?

石のローラーに物語が刻んであるそうです。(上から覗くと穴がある)

明治19年小田中新田に立石良治郎さんが、ローラーで土ならしをやっていて、ローラーに巻き込まれ下敷きになったが、神様のお陰で、傷一つ無く無事だった。その出来事を碑に刻んでいる珍しいものです。


初宮詣・七五三詣・健康長寿・家内安全・病気平癒・交通安全・車祓い・年祝い
学業成就・商売繁盛・厄除け・安産祈願などの各種ご祈祷を常時受け付けておられます。


御 祭 神
(ああまてらすおおみかみ)
天照皇大神

(くにとこだちのみこと) 
国常立尊
(いざなぎのみこと)
伊弉諾尊
(つきよみのみこと)
月 読 尊
(ほんだわけのみこと)
誉田別尊



文: 徳守神社社務所

お問い合わせ

岡山県津山市宮脇町5番地
徳守神社社務所
TLE 0868-22-9532
FAX 0868-22-2096


※もっと知りたい方は、徳守神社ホームページでご覧ください。

為になる「作法」などが載っております。

いろいろと為になる話が満載です。

▲恵比寿神社・寿福幸神社

どちらも商売繁盛の神様です。

▲香取神社・鹿島神社

どちらもスポーツの神様です。

▲秋葉神社は火の神様(火災除け)

薬祖神社は医者の神様で病気の平癒。

▲春日・八幡は(縁結び)

荒神社は勝負事や文学の神様です。

▲陰陽の神様は、縁結びの神様です。

始めて結婚された夫婦和合の神様だそうです。

▲稲荷さま

西今町にあったものを移転して来たもので、稲荷様またの名を高倉稲荷と言うそうです。

塞神社は境界をつくる神様です。

作法と礼儀
作法とは礼儀を尽くすことだそうです。

例えばご祈願などで玉串をお供えする時片手で持つ人もいます。
物を持つ場合は持ち手と添え手で持つのも作法です
座る時にはあぐらではなく正座で座るのも作法です。
なにも特別なことではありません。
お陰を頂きたくて神前に上がっているのですから、
感謝の気持ちでいれば自然と作法はできるものです。

作法は形式ではなく、気持ちが添えられてこそ礼儀作法となるのです。それを心がけて頂ければ清々しいご参拝となることでしょう。

▲住吉神社は昔の本殿だったのではと言われています。後に本殿が建設されたのでは。(市の重要文化財)小田中より移築されたと言われているそうです。

また、住吉神社は厄除け、海上の神様で海上の安全、旅の安全を守る神様です。

▲大国主の尊は地上の神様です。

天照大神は天の神様で、縁結びの神様です。

▲お花伝説の説明看板

徳守宮境内に宮脇町がおまつりする町内神の阿花善神社があるが、薄幸な女性「お花」の伝説を残している。

▲善神社は安産、結婚、縁切りなど、女性のみかたの神様です。
境内末社の善神社(祭神 お花善神)は津山藩森家の家老原十兵衛に仕えた美女お花が横死し、その霊を慰めるために祀られた社で、婦人の守り神として知られ、特に逆境にある女性に霊験あらたかである。

▲神馬舎は子供たちのシンボル

現在、右半分は古いお札などが入っていて、12月31日にまとめて焼納をされるそうです。

▲神馬舎の中には馬がいます。


二拝二拍手一拝

二拝(再拝)とは・・・
神道の言葉で「敬神」という言葉があります。それは「神を敬う」という内容の言葉です。
だから普段、人間同士の行う挨拶は頭を下げますが、神様には、敬意を表してもう一度、頭を下げます。

二拍手の意味とは・・・
自分の願いを神様に伝える作法です。
何気なく拍手をしていますが、拍手をする構えにも意味があります。
先ず、両手を合わせて右手をずらし二拍手をして手を合わせます。
何故、手をずらすのかと言うと「右手は体・左手は心」と考え、体を一歩下げる気持ちで神様に対し「敬い」思いを伝える。と言うことです。

最後の一拝の意味は・・・
自分のお祈りが終わり、神様に対し「今までの生活の感謝と今日からの生活の祈り」を込めて、締めくくりの挨拶となります。