津山朝日新聞社

(2009.9.7取材)                                  必見だよ! →昭和29年1月の記事はこちらから

 津山市は岡山県北に位置し、旧松平藩の城下町である。この市に明治43年7月1日の創刊、平成22年で100年目を迎える、大戦中は休刊したが、昭和21年に復刊し、日刊紙として「津山朝日新聞社」(社長 福田邦夫)がある。

 県北3市5郡を中心に、岡山・大阪・東京などにも郵送し、地元紙として読者に愛され続けている理由とは一体何なのか。

 「津山という土地は、保守的な土地柄で、市民の心には郷土に対する思いが強くある。だから、地元の新聞が読まれ、いつまでも大事にされるだと思う。先達の言葉である。

 たしかに、津山の身近なニュースや記事というのは地元で暮らす人間にとって、大変興味深いものがある。そんな、読者の心のツボを押さえた内容が紙面にあふれているからこそ、99年という年月が経った今日も、人の手の中で大事に読まれていると自負している。

 歴史と文化の城下町、津山と共にこれからも・・・。(津山朝日新聞記事より)

(2009.9.7取材)

▲看板


津山朝日新聞年表

明治43.7.1/作陽新聞として創刊。当時津山町鉄砲町、印刷所は同所植月永光堂、新聞名義人は柴田丈作、発行者は初代社長福田辰一。


明治44/堺町に移転、印刷工場を持つ自社発行となり備作新聞と改題。


大正4/田町の津山警察署裏通りに移転、社屋新築。


大正8/宇那木直一主宰の美作新聞と合併「津山朝日新聞」と改題、隔日刊となった。


大正10.4/日刊発行に踏み切る。(日曜、祭日休刊)


昭和2.10/初代社長死去、福田卓也あとを継ぐ。


昭和8/新聞名義人柴田丈作から福田みわ=初代社長婦人=となる。


昭和14.8/津山毎日新聞(塩山寿主宰)、作州日報(藤田義彦主宰)と津山朝日新聞の三紙合併、「津山朝日新聞」を継承。


昭和16.11.16/一県一紙という国策により、いまの山陽新聞(当時合同新聞)に吸収合併となり、発行回数7000号で一応の終止符を打つ。


昭和21.1.15/福田卓也復員、合同新聞を退社して「津山朝日新聞」を復刊。

7001号を発行。新聞名義人・福田卓也。


昭和29/日刊の作州日報(太田稔主宰)を合併、田町・現在の大熊屋敷跡で作州最初の輪転機を備え、スピード印刷を開始。


昭和36/写植機設備、活字鋳造のモノタイプ台数も増やして近代化を進める。


昭和49.3/オフセット輪転機を設置し、紙面の充実を図る。


平成2/創業90周年を迎える。


平成14.5/新聞制作システム Jパワー他一式導入。


平成14.7/二代社長死去、福田益之あとを継ぐ。


平成20.11/福田邦夫代表取締役社長就任。


津山朝日新聞

〒708-0052

岡山県津山市田町13

電話0868-22-3135

FAX0868-24-3184

▲社屋

▲応接間

▲当時の記者のカメラ

▲当時の紙型

▲当時の鉛の版

▲タイプ用の活字

▲遠方の方に郵送しているそうです。

▲駐車場の隅にある稲荷神社

▲出雲街道の本は好評販売中!

▲販売中

 社長をはじめ、皆様お忙しい中を快く対応くださいましてありがとうございました。

▲家老の大熊屋敷跡

▲ここは津山藩家老 大熊家の屋敷跡である。この附近で最大の長屋門であったが、今は潜戸と門柱の一部を残す。

▲潜戸

▲昭和50年の津山朝日新聞

▲カメラ(今は使っていないそうです)

▲輪転機

▲輪転機で刷られている冊子

▲輪転機用のロール紙

▲輪転機によりカラーで印刷された冊子


○社長インタビュー

 阪神淡路大震災の時、マスコミを通じて同世代の人がボランティアで頑張っているのを見て自分も参加した。その時、現場情報誌を発行し、役に立ったと感じ、また充実感もあった。この時初めてマスコミの影響力がすごいと感じた。

 会社は津山と運命共同体ですから、地元の人が困ったときは恩返しをしたい。それには、地元の人との人間関係作りをして行きたいです。

何でもやってみないと解らないが、まずはやってみて、その中から選んでいきたいです。

 また、働いている人が誇りを持てるような会社。イザという時に頼りになる会社を目指し、じっくりと誇りを持ってやっていきたい。

必見だよ! 

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