手漉和紙職人の上田繁男さんは、津山市の重要無形文化財に指定されておられます。(2010.1.23)

▲上田繁男さんは6代目だそうです。
 「どの業界でも後継者問題では頭を悩ませているのですが、後継者がうまく出来たのはどうして?と聞かれることが多いのですが、自分も騙されて後継者になったので、息子も小さい時から騙してきたんです。」とおっしゃる上田さんです。

「技術は教えてくれと言われても、本人にその気があって自分で技術を会得しないと駄目なので、本を読んでわかるものではないのです。何回漉いたら、何ミリというものではなく、紙の水の濃さで1枚ずつ条件が違うのです。自分の勘を育てないと得られないので見て学びなさいと言っています。」上田さんは冗談混じりに面白い話をされ、時間を忘れて話がはずむ人です。
 「昔は広野や、御北(宮川の両脇)にも紙漉き屋さんがあったんです。また、昭和30〜40年代には日本原にもあったが、高度成長の悪影響を受けて消滅してしまいました。」
 「さらす作業は前日の夕方川に浸けておいて次の朝に上げるのですが、皆さんは今(冬)が一番忙しいと思われるでしょうが、紙漉きは年中やっていて、仕事としては冬が一番やりやすいのです。なぜなら日本の和紙にはなくてはならない、「トロロアオイ」(アオイ科の植物の根)が安定しているからです。それから川の水量が安定しているし、水も綺麗だからです。一番大変なのは夏で、台風や夕立があると水が汚れるし、水量が増え流れてしまうので夜も眠れない事もあります。」 「日本の和紙が良いと言われる訳は「トロロアオイ」(植物でおくらに似ている)があるからです。トロロアオイの入った水とみつまたを混ぜ合わせるとなめらかで薄くて丈夫な和紙ができるのです。このトロロアオイですが、熱とバクテリアに弱いので冬が良くて夏には弱いのです。」
 「また、繊維が沈んでしまうので均等に分散させる役割があり、水分が無くなると成分も無くなり滑らかになるのです。」
無形文化財に指定され技術を残そうと映像を撮っている所で、2月には金箔の紙の仕事の映像を撮られるそうです。

余談ですが、横野の第4の滝は今は小さくなってしまったけど昔は紅葉が一番綺麗だったそうです。

 

▲丁度この日は朝から撮影があったようです。

朝8:00〜10:00頃までの2時間位、川に入りミツマタを洗う作業をするそうです。

とても腰が痛くなりそうな根気の要る作業に頭が下がりました。(2010.2.23)

 

▲上田さん親子です。(2010.2.23)

▲ひたすら洗っておられました。

 

▲モクモクと箱を洗っておられました。

▲沢山の量です。(2010.2.23)

主な製品
箔合紙、便箋、和籖、封筒、ハガキ、巻紙、懐中紙、和帳、写経用紙、色紙、短冊、半紙(仮名書用)

▲ねこのもこちゃん

▲いぬのちょこちゃん

▲みつまたの木

▲かまど

▲懐かしいストーブ

▲お嫁さんにミツマタの煮たものを見せていただきました。

▲永礼孝二氏の版画

 永礼孝二氏は、明治34年津山市生まれ。

日本版画協会第二回展より出品を続ける。 版画誌「刀の跡」同人。

作品の一部は東京の町田市立国際版画美術館に収蔵されている。


上田手漉和紙工場
岡山県津山市上横野1874
電話0868-27-0960


※和紙の作り方

▲森本さんが水に晒しているところ。
 「昔は紙漉き屋が沢山あったが、今は3軒だけになりました。そうですねぇ〜昭和30年代は8軒あったんですけどね。」
 「この作業は黒皮を剥いだ後汚れを丁寧にとっている所です。その後、乾かし上田さんへ届けております。」と教えてくださいました。

▲横野滝へ行く道沿いにあります。

▲送られてきた絵手紙

▲和紙製品

▲和紙製品

▲飾られている版画たち

▲植月行雄氏の版画作品

▲数々の賞状

手漉き和紙は箔合紙(はくあいし)として金沢市へ出荷されます。金沢市の金箔の伝統工芸にとって横野の和紙は大変貴重なものです。

▲金沢から逆輸入された、黒のべんがらのランチョマットが素敵でした。


体験ができるそうです。

毎週土曜日の午前10時〜午後4時

半紙の2倍の大きさで1枚630円

漉きあがっあたら乾燥して送ってくださるそうです。(※1週間前までに要予約)

▲乾かしているところです。

▲煮熟しているところ。

▲川から上げてきたところ。

▲細かくしているところです。

▲7代目の康正さんが紙を漉いているところです。1日に300枚漉かれるそうです。

▲漉いたものを重ねているところです。

▲紙床からはがすところです。

▲貼り付けているところです。

▲乾かしているところです。

▲裁断しているところです。


親子で紙漉き体験に来られますが、多くは子どもさんの方が上手だと笑ってお話くださいました。私もハガキ大で体験しましたが、最初はしわがよって大変でも、世界で1つのオリジナル作品になりました。

▲7代目の上田康正さん

 源流をたどれば、欽明天皇16年(555)に吉備五郡(今の県北津山地方)に白猪屯倉(しらいのみやけ)がおかれ、住民の戸籍がつくられました。戸籍や田籍をつくるのに紙が造られはじめたといわれます。
 美作紙は正倉院文書では神亀5年(728)のころ、紙名のついた11か国の中に入っています。
 国府に直結した紙郷といわれる所で、現在残っているのが7か所となりました。津山市上横野はその1つです。
美作紙の名は中世、近世を通しよく知られるようになりましたが、現在はこの上横野以外は姿を消しました。しかし原料のミツマタの産地としては大蔵省印刷局納入日本一です。
 上横野は、津山の中心に近いのですが、美作一宮中山神社付近から谷へ入り、しだいに深く、奥の滝からの清流に育てられた紙の里です。
 箔合紙づくりの特産地として、その名はよく知られていますが、私の家の初代上田長吉は文化年間に津山松平家の御用紙を漉くことを拝命、以来私で6代目を継承し、横野和紙の技法を守ってまりました。
 手漉和紙は強くて美しい光沢、加えて野性味のある素材さなど、国際的に高く評価されています。いつまでもその伝統を守り続けてゆきたいと思っています。ご支援のほどお願い申し上げます。


★津山箔合紙(金箔の保存や運搬になくてはならない紙なのです。)
 金を打ち延ばすと金箔になる。日本の金箔は1万分の1ミリにまで延ばせる技術を持っています。仕上がった金箔を1枚ごとに挟む紙で切り紙ともよばれる。金箔をこの金箔紙に挟んでおくといつまでおいても紙に箔が付着することなく、混じりが入り難い特性をもっています。(情報提供:上田手漉和紙工場)