歴史民俗館と観光センター周辺のお雛様

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▲お顔もそれぞれ表情が違いますので、じっくりご覧ください。この他沢山の展示物があり、時間が経つのを忘れそうです。


雛あそびは平安朝時代(781-1185)貴族の家庭に行われた女児の遊びがその始まりといわれる。雛人形の起原は中国であるが、その思想は祓具として諸悪災害よけとして使用されたのであり、鳥取地方の流し雛はこのなごりである。
江戸時代初期の雛あそびは、畳の上に毛せんを敷き、人形をならべ、いろいろな調度品をその前に置いた。江戸中期(享保-寛政1716-1800)以後になると壇をもうけて飾り、最上段に屏風または紫裳殿になぞらえた御殿をしつらえるようになった。
内裏雛一対、随身(左大臣、右大臣)、衛士、官女、五人囃、左近桜、右近橘などそろえて宮中の風俗を模した。これに白酒、菱餅、あられ等をそなえ、調度品として箪子、長持、行器(食物を家から外に運ぶ木製の容器)から、茶の湯道具、盃等の台所用具、羽子板、鞠等の遊戯道具までそろえたが段は二段三殿であった。
江戸後期に入ると、御所車、雪洞を一・二対たて桃の花や柳をそえ花生けを置き、さらに明治時代に入ると飾り段も五段七段となった。(歴史民俗館より

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▲ここに展示してある雛人形は森本豊女が錦屋(森本家)になった金襴緞子間道等の名物裂を用い、京から人形師を招きその指導を受け手作をした雛人形だそうです。

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▲とても立派なお雛様です。(幕末~明治初期)

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▲幕末~明治初期 森本豊女作(京より人形師を招き製作)

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▲幕末~明治初期 森本豊女作(京より人形師を招き製作)

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▲泥天神                        ▲びっくり!お神輿までありました。

伝統郷土名物 泥天神(本館蔵)
天神様を祭る事は全国的に古い事である。作州地方でも天神様を三月節句に男子の前途を祝して能筆家であった菅原道真公にあやかる祝儀品として贈られる。寛政初年京都伏見人形の流れをくんで当地松岡村右門義隣の製作に始まり、伝承五代岸川武士翠雲に至る。粘土で作る素朴な気品美を持つ泥天神は、郷土伝統の中で人々の平和な夢をよみがえらせてくれる貴重な存在だと、郷土名物の根絶をおしまれ、昔ながらの郷土品として残さるべきを勧説され、作者無心無欲の境地に立って製作されたものである。
(久米町重要無形文化財 岸川武士翠雲氏近作)

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▲ぼんぼりもさすが綺麗です。           ▲お道具も豪華です。

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▲江戸時代の雅遊玩具飾


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津山観光センターに飾られていたお雛様とお土産のお雛様

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吉野館城下店「よし乃」さんに飾られていたお雛様です。