M&Y記念館/作家履歴と美術館の紹介

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▲有元利夫ポストカードセットより(許可済み)

有元利夫

1946年 岡山県津山市に生まれる。
1969年 東京藝術大学美術学部デザイン科に入学。
在学中に渡欧した際、イタリアのフレスコ画に強く感銘を受けフレスコ画と日本の仏画に共通点を見出し、岩絵具を用いることを決心する。
1972年 卒業制作「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」10点連作が大学買い上げとなる。
卒業後、有元利夫はデザイナーとして電通に勤めるが、1976年より画業に専念。展覧会への出品を重ねる。
1978年 「花降る日」で安井賞特別賞を受賞。
1981年 「室内楽」にて第24回安井賞を受賞。
その後、有元利夫は彌生画廊を中心として数々の作品を発表し、多くの賞を受賞。
1985年2月24日肝臓癌のため逝去。若くして安井賞を受賞し画壇に華々しく迎えられたが、早逝のため、生涯に制作したタブローは400点に満たない。
主に女神を思わせる人物像をモチーフとした作品を好んだ。
岩絵具を使い、風化を意識した絵肌を持たせた静寂感のある有元の美しい作風は今も多くの人々を魅了し続けている。

有元利夫 を楽しむならば・・・ 
小川美術館
住  所 東京都千代田区三番町6-2三番町彌生館1F TEL:075-463-0007
開館時間 11:00~17:00 
休 館 日 企画展時のみの開館(常設展は開催していません)。

星野富弘

1946年 群馬県勢多郡東村に生まれる。
1970年 群馬大学卒業。中学校の教諭になるが、クラブ活動の指導中頸椎を損傷、手足の自由を失う。
1972年 入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始める。
1974年 病室でキリスト教の洗礼を受ける。
1979年 入院中、前橋で最初の作品展を開く。
1981年 結婚。雑誌や新聞に詩画作品や、エッセイを連載。
1982年 高崎で「花の詩画展」。以後、全国各地で開かれる詩画展は、大きな感動を呼び現在も続いている。
1991年 ふるさとの群馬県勢多郡東村に村立富弘美術館開館。

ブラジル各都市で「花の詩画展」、現在も継続中。
1994年 ニューヨークで「花の詩画展」。
2000年 ハワイで2度目の「花の詩画展」。
2001年 サンフランシスコ・ロサンゼルスで花の詩画展。
2003年 ワルシャワ国立博物館「バリアフリーアート展」に招待出品。
2006年 芦北町立星野富弘美術館開館。

現在も詩画やエッセイの創作活動を継続中。
また、富弘美術館の入館者は既に600万人を超えている。

星野富弘 を楽しむならば・・・
富弘美術館 
住  所 群馬県みどり市東町草木86 TEL: 0277-95-6333
開館時間 9:00~17:00 
休 館 日 月曜日(休日の場合はその翌日、4月~11月は無休)

芦北町立星野富弘美術館 
住  所 熊本県葦北郡芦北町大字湯浦1439-2 TEL: 0966-86-1600
開館時間 10:00~18:00
休 館 日 第2、第4月曜日(休日の場合はその翌日)


 

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竹久夢二

明治17年、岡山県の南東、邑(おく)郡本庄村に生まれる。
現在、生家は夢二郷土美術館分館となっている。
子どもの頃より絵に魅かれた夢二は、神戸中学に進み、エキゾチシズムの洗礼をうける。しかし、父の事業欲により一家は九州に移住するも、夢二は家出をし上京、画家を志望する。
明治35年、早稲田実業入学。
明治40年、岸たまきと出会い結ばれる。
彼女をモデルとして"夢二式"美女を描き人気作家となる。
明治42年にたまきと離婚。その後その翌年に再び同棲、そして、別居を繰り返す。たまきと「港屋」を開店するが、画学生笠井彦乃との悲運の恋燃え上がる。
大正9年、彦野は病死。お葉、山田順子など女性遍歴は続く。
昭和6年に渡米。数回の個展を開くも成果を上げられず。続いてドイツ、イタリァなどを旅する。
昭和8年、病で帰国。その後の台湾旅行の後、病状悪化。
昭和9年、信州富士見高原療養所で永眠。

大正浪漫を代表する画家として現在も非常に人気が高い。
多くの書籍、広告宣伝物、日用雑貨などのデザインも手がけており、日本近代グラフィック・デザインの草分けのひとりでもある。

竹久夢二 を楽しむならば・・・
竹久夢二美術館 
住  所 東京都文京区弥生2-4-2 TEL: 03-5689-0462
開館時間 10:00~17:00 
休 館 日 木曜日(休日の場合はその翌日)

夢二郷土美術館 
住  所 岡山市中区浜2丁目1-32 TEL: 086-271-1000
開館時間 9:30~17:00
休 館 日 月曜日(休日の場合はその翌日)


長谷川潔

1891年 横浜に生まれる。
1910年 麻布中学校卒業。
1911年 葵橋洋画研究所に入る。
1912年 本郷洋画研究所に入る。
1916年 永瀬義郎らと日本版画倶楽部を結成。
1918年 渡仏。
1924年 ソシエテ・デ・パントル・グラヴール・ザンデパンダンに入会。
1925年 ヌーヴェル・エソール画廊にて第1回個展を開催。
1926年 サロン・ドートンヌ板画部会員に当選。
1935年 シュヴァリエ・ド・ラ・レジョン・ドヌール勲章を受章。
1948年 サロン・ドートンヌ油絵部会員に当選。
1964年 フランス芸術院コレスポンダン会員に当選。
1966年 フランス文化勲章を受章。
1980年 パリにて死去。

あらゆる版画技法を用い、また油彩も描いたが、メゾチントと呼ばれる古い版画技法を復活させ、独自の様式として確立させたことで有名。風景や小鳥、静物を、静かに神秘的に描き出した彼の画面は、高い評価を受けている。渡仏して以来、数々の勲章・賞を受けたが、一度も帰国せずにパリで没した。

長谷川潔 を楽しむならば・・・
京都国立近代美術館 
住  所 京都市左京区岡崎円勝寺町 TEL: 075-761-4111
開館時間 9:30~17:00 
休 館 日 月曜日(休日の場合はその翌日)

横浜美術館 
住  所 横浜市西区みなとみらい3-4-1 TEL: 045-221-0300
開館時間 10:00~18:00 
休 館 日 木曜日(休日の場合はその翌日)


堂本印象

明治24年 京都に生まれる。
明治43年 京都市立美術工芸学校を卒業後、しばらく西陣織の図案描きに従事。
大正7年 日本画家を志して京都市立絵画専門学校に入学。
大正8年 初出品した「深草」が第1回帝展に入選。
第3回展では「調鞠図」で特選。
第6回展の「華厳」では帝国美術院賞を受賞。
絵画専門学校の教授として、また私塾東丘社の主宰者として多くの後進を育成。
昭和36年 文化勲章を受章。
昭和41年 自らのデザインにより堂本美術館を設立。
その後、美術館は平成3年に京都府に寄贈され、平成4年京都府立堂本印象美術館として開館。今日に至っている。
昭和50年9月逝去、83歳。

およそ半世紀にわたり様々に画風を変貌させた堂本印象。
日本の伝統的なモティーフを描く一方、戦後には抽象絵画へと華麗な展開を遂げることで世間を驚かせた。
また、様々な技法を駆使しあらゆる画題をこなす画才は、各地の寺社仏閣の障壁画においても発揮された。 

堂本印象 を楽しむならば・・・ 
京都府立堂本印象美術館
住  所 京都市北区平野上柳町26-3 TEL:075-463-0007
開館時間 9:30~17:00 
休 館 日 月曜日(休日の場合はその翌日)


棟方志功

1903年(明治36)年青森県生まれ。鍛冶屋に生まれ、小学校を出ると青森地裁の給仕になり、絵画を独学で勉強。
1924(大正13)年に上京し、1928(昭和3)年の帝展で初入選した。この年から、古川龍生、川上澄生の影響で版画の道に入る。
1936(昭和11)年国画展に出品した「大和し美し」が出世作となり、これを機に柳宗悦、河井寛次郎ら民芸運動の人々と交流する。
その影響から、独特の『板画』を発表し注目される。
1952(昭和27)年ルガノ国際版画展で優秀賞受賞。
1955(昭和30)年サンパウロ国際ビエンナーレ版画部門最優秀賞。
1956(昭和31)年ベネチア・ビエンナーレで国際大賞を受賞。国際的に高い評価を受けた。
1965(昭和40)年朝日文化賞受賞。
1970(昭和45年)毎日芸術大賞、文化勲章を受章。
1975(昭和50)年9月13日没。
棟方志功 を楽しむならば・・・
棟方志功記念館 
住  所 青森市松原2丁目1番2号 TEL: 017-777-4567
開館時間 10:00~17:00 
休 館 日 月曜日(休日の場合は開館)

南栃市立福光美術館 
住  所 富山県南砺市法林寺2010番地 TEL: 0763-52-7576
開館時間 9:30~17:00
休 館 日 火曜日(休日の場合はその翌日)