佐良山のふしぎ

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神南備山に昇る朝日(嵯峨山より)
押渕・下種・荒神山を経由して種から皿に至る旧出雲街道には後醍醐天皇にまつわる史跡が点在しますが、その中で「御駐輩場」と呼ばれる場所があります。ここには後醍醐天皇が隠岐島にご配流の際「輩」を止められ休まれた場所として、種地区の人たちの手で整備され、立派な歌碑が建てられています。

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種町内会
 種町内会は、県道押淵~皿線の中間にある小さな町内会です。人口83名、70歳以上は30名です。高齢化率は32%です。小学生3人、幼稚園児1人です。旧出雲街道が通っていたため、色々な史跡、遺跡があります。洗顔清水・雲清寺跡・御駐輦場・大塚古墳群・たたら製鉄跡などが多くあります。洗顔清水は後醍醐天皇がご配流の際、ここで顔を洗われた清水です。古来より、こんこんと湧き出る水は枯れたことがありません。下流の水田を潤し、豊作をもたらしています。
その昔この地方が大旱魃に見舞われ、他の地方の稲は枯れてしまったが、洗顔清水のすぐ下流だけは、来年作付けをする稲の種がとれたそうです。それで「種」という地名がついいたと言い伝えられています。
 種には、たたら(鉄の製鉄)跡が多数あり製鉄滓が多く出土しています。いつの時代に製鉄されたのか、また材料は砂鉄か鉄鉱石か、昭和30年代、砂防工事中に黒いレンガの様な原石が出たという話もあります。この地でなぜ、製鉄がおこなわれたのか一切わかりません。歴史とロマンを秘めた旧出雲街道ではないでしょうか。
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【井口町内会】悲恋の物語を生んだ神々の山里(▲長法寺の銀杏)
 中国では、昔から南に神様がおられるという。津山盆地を見下ろす神南備山は、神々が降りたもう信仰の山で、降臨されると、山頂の岩が割れ、その跡があ る。その中腹の静謐さの中に長法寺があり、佐良山村の秀才達はここで勉強し、国家有用の人的資源を排出している。また、ロマンと悲恋の物語の場でもある。 明治32年津山女学校で「アンビシャスガール」の育成を目指した竹内文に恋をした薄田泣菫(公孫樹下にたちて)と、漂泊の詩人田岡嶺雲も津山尋常中学校教 師時代、「月見草のような女」と恋をして、長法寺の鐘の音が胸にしみたという。嶺雲一生涯の内でも、最も人間らしい恋の喜びに陶酔し得た美しい日々であっ たと思う。
「嶺雲ゆかりの鐘」と「泣菫の公孫樹下にたちて」の詩碑が、神々の山里、井口長法寺の銀杏の樹のもとに建ってる。(写真・文提供:広報さらやま)