広野小裏山 小祠に祀られている広野神社

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 広野小学校裏山に小祠に祀られている広野神社(2012.1.15取材)
 広野小学校給食室の裏山に、学校の敷地に接して小さな社があり、広野神社として今も祀られている。ごく最近、広野神社と書かれた真新しい木造の鳥居が建てられ、その存在が明示されるようになった。それまでは、茂みの中に位置していて、近隣の氏子以外には、ほとんどその存在が気づかれにくい状況にあった。
 平成4年、岡山の年配の女性から広野小へ次の要旨の問い合わせがあった。


 「私は、元河面(こうも)出身の者だが、何十年ぶりかで津山を訪れる機会を得た。子どもの時分、病気し吹き出物にも困っていたとき、学校の周りのお宮さんにお参りして大変おかげを受けたのを覚えている。ついてはお礼に参ってみたいので、その場所を教えてほしい。」
その時私は、「学校周辺にはお宮はなく、河面の八幡様か福井の金刀比羅宮(ことひらぐう)ではないか。」と応えたが、私自身不明を恥じる次第となった。
 後で分かったことだが、校長室にある広野小初期の藁(わら)ぶき校舎を描いた絵に、広い参道と鳥居が校舎のそばに描かれている。また、江戸時代、「東作誌」の田熊村上分にも、小祠の祭神の記述が見られ、古くからの存在が裏付けられた。社伝は明らかではないが、社のなかに「広野神社御本殿再建正遷(せいせん)座鎮祀(ざちんし)当社氏子安全斎主宮司 豊田元留 昭和四九年壱月弐拾七日」と銘がある。

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 祭神について、地元氏子の人々は"てんのうさま"として拝んでいるが、祭神の正しくは、牛頭天皇(ごずてんのう)とされている。牛頭天皇とは、本来は釈迦がその弟子たちと住んだ僧坊=祇園精舎を守護する役目の神様で、その垂迹神(すいじゃくしん)(仏に代わって人間を救うため現れた日本の神様)は、素盞鳴尊となっている。この神様は、人間を疫病や災難から、農作物を病害虫から守ってくれる、いわば厄除けの神様であり、転じて健康祈願・豊作祈願の神様として信仰を集めている。
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 広野神社は、戦前、社田が10a(約1反)ほどあり、その維持費に当てられていたが、戦後の混乱・農地改革等によりその基盤を失い、神社も衰退したという。今では、田熊の小字後土居・小村地域の氏子により、夏至・冬至の日を中心に祭られ維持されている。なお、この近辺に集中している広野小・公民館・農協・保育園といった公共機関の職員が、年間二回ていど広野神社にちなんで「神社祭」と称し、代表がお参りし健康安全を祈願したあと、懇親交流会を開いている。この伝統的な行事が、氏子以外にせめてもの、広野神社の存在感を示している昨今と言えよう。
(広野の歴史散歩 宮澤靖彦 編著より)