福井 絵馬が往時を語る金比羅宮

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福井 絵馬が往時を語る金毘羅宮2012年2月12日取材
 福井の街道筋の二つ池の南山手に金比羅宮がある。こんぴらさんの通称で信仰されているが、四国琴平の金毘羅宮より勧請され、祀られたお宮であることは言うまでもない。
 金毘羅宮の神は、本来、薬師如来十二神将の一人宮毘羅大将であり、とくに航海安全・交通安全の御利益で知られているが、さらに家内安全・商売繁盛・開運出世など幅広い御利益でも人気が高い神様である。江戸から明治の時代にかけて、伊勢参りとともに、一生に一度は金毘羅参りをすべきものとされ、その参詣は信心深い庶民の念願であった。森の石松の金毘羅参りは有名な話だが、とくに江戸時代後半には、町人文化の広がり、商品流通の進展・金毘羅道などの交通網の整備などを背景に金毘羅参りが流行した。 (文:広野の歴史散歩 宮澤靖彦編著より)

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 福井の金毘羅宮は、こうした金毘羅参りの流行を背景として成功したと言ってよい。古老が母から聞いた話によると、井上のかくさん(通称 新家のかくさん)という人物が、瀬戸内の渡船以外はほとんど歩いて金毘羅参りをし、背中に金毘羅の神を勧請して帰って来たと言う。最初は個人で持ち山に 祀ったが、やがて、村全体のお宮として整備され祀られるようになったといいう。
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表参道です。
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 場所としては、集落の小字名が街道筋と呼ばれているように、かつては交通量が多く、役場、旅館、料理屋、鍛冶屋などがあり、いわゆる真加部街道筋の拠点 として栄えた場所にふさわしい位置に祀られている。創建の時期は、幕末の神仏分離・廃仏毀釈の動きのあった明治改元(1868年)前後に建立されたと思わ れる。古びた像の弘法大師のご本尊も、脇参道に小祠として祀られており、(勝南霊場第参拾六番)当時の風潮がうかがえる。
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また、奉納雅俳集(慶応4→明治 元年)参道両脇の常夜灯(明治4)商売繁盛祈祷守護収(明治7)などが、創建の時期を示している。さらに、拝殿の壁の古びた数十点の絵馬、明治天皇その他 の奉納額が最盛期の時期や信仰を偲ばせている。
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 戦前は、福井のこんぴらさんと呼ばれて、病気災難除けの宮として広く知られていたようで、大崎、国分寺、川崎方面からも参拝者があり、集団で「お籠も り」などもなされていたそうである。戦後の生活の大変化、自動車の世の中となって旧街道もすたれ、この金毘羅宮も今は、街道筋周辺住民のみで祀られてい る。
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参道
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参道の鳥居