明治の講組文書等を保存の下木お大師様

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 田熊分広戸川の東側山手に、下木(北)と大町(南)の集落がある。それぞれ集会所があるが、この公会堂の中に下木ではお大師様が、大町ではお大師様、お薬師様が祀られている。
 下木の場合、お大師様を祀るお籠り堂が古くなったので、昭和57年、その場所に集会の便利を考えて、集会所に建て直した。大町の場合も同様で、阿弥陀様があった場所へ公会堂を建てており、いわば仏様がもともとの本家であった。
  仏様がこうした位置にあるということは、お大師様なり阿弥陀様が、寄り合いの度に日常的に親しめ、信仰できる便利さを考えてのことであり、昔からの信仰と結び付いた村の暮らしの一端を伺わせるものである。
 とくに、下木の公会堂の中にあるお大師様には、明治期の、四国八十八カ寺納経帳(集印帳)・講連中議定書・毎月講定約書等の関連文書が保存されていて、村の暮らしを考えさせられる貴重なものなので、紹介しておきたい。(2012年9月9日取材)

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①四国八十八カ寺納経帳(集印帳) 明治32年(1899年)
 お大師様を祀っている古い厨子には、「奉納 明治十年五月八日」と年代の記入がある。お大師様の像の他に、魂の入った信仰対象物として、古いお大師様の掛け軸や、明治の貴重な四国八十八カ寺の納経帳(集印帳)が見られる。
 巡礼の旅は今の盛んであるが、徒歩の場合、四国八十八カ寺は60日かかるとされている。四国巡礼が大衆化されだした明治30年代の当時、おそらくは村内を代表して出掛け、四国四県の各寺を巡ってはお礼を納め寺印をもらって歩いた巡礼は、今とは比較にならぬ困難な旅であり、各寺の集印は、まさに信仰上の壮挙であった。
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②講連中議定書 明治24年(1891年)
 葬儀等で、今でも大切な役割を果たしているのが講組とか講仲間と言われる組織である。この講について、全文10条の成文化した規定があり、興味深い。
 道作り修繕、大師講、諸神社講、その他便宜を図るため、議定したとある。
 
第1条 講連中は、戸主は勿論家族の者、常々丁寧懇親に交わり、節倹を旨とし品行正たるべし
第2条 死去場への立會の節は、婦女子に至る迄、成丈け事務を分任し、速に親類報知方、其他、穴掘、張物、諸道具を造営し、埋葬時間、實家の好みに任せ差支無之様取扱ひ可申事
第3条 談場立會の節は、倹約に取扱ひ、談家の身体を酌量し、意外の費用、醸ささる様可到事  
第4条 下に記名の外、講連中たる事を得ず、若し分家者にて判然たる者、連中の加入申出る時は、連中一同の協議に任せ、分家者の後見保証、その本家よりなすものとす
第5条 縁故旧慣無き者より、講連中取組入り請求をなすと雖(いえど)も、決して加入する事を得ず
第6条 死去場え、縁故旧慣無き者より、事務手伝え申出るも手伝いを不可受、最も事務多忙にして雇人をなすは、此限りにあらず
第7条 談場事務は、一切講連中に引受、相運び可申事
第8条 飲食に用いる器物等大切に支用し、破損の無之様注意すべし
第9条 談場は、成丈け人少くて事務を取扱ひ、連中相互に相談の上便宜を謀る可し
第10条 講連中の内、不人情不品行の所業のある者は、協議の上連内を退除すべし、再連中請求する時は、三名以上の保証人を取り是に付、連中一同の協議に任す可し
上の通り議定致候上は、聊も各条々に違背無之、依て連中一同
記名捺印致候處  如件
(文:広野の歴史散歩 宮澤靖彦 編著より)