田熊 雨乞いが行われた山頂の竜王様

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 田熊分広戸川の東側に小字大町・下木集落があるが、その東側山地の山頂部に龍王様が祀られている。木山様の近くと聞いて訪れたが、海抜200mほどの山頂部は、平坦地ではあるが樹木が茂って道もふさがっており、案内なしには、たどりつけない状況であった。
 地元の婦人でさえ、話は聞いているが、お参りしたこともなく道は知らないと疎遠な様子であった。今や存在がうすれかけているが、かつて龍王様は、農民にとって水田の用水の確保のために欠かせない天の雨をつかさどる大切な神様であった。天候不順でとりわけ田植え時期や夏分に何日も雨が降らない干天が続くと、熱心に龍王様を拝み、やぐらを組んで大火を焚くいわゆる千駄焚き(せんだたき)をして雨乞いを行った。水源の浅い広戸川は、干天続きには水涸れを起こしやすいことから、龍王さまを祀る必要があったと考えられる。
2012年9月9日取材(文:広野の歴史散歩 宮澤靖彦編著より)

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案内くださったのは、竹内康晃さんです。傷つけると青い肌がでる「アオハダ」
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 2本の異なった木が交じり合っています。
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途中は雑草で覆われていて、中々案内なしにはたどり着けません。
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 この龍王様の社の中に棟札を納めている箱があり、風化し消えかけているが、2枚の棟札の表裏に次のごとき由緒にかかわる大切な記録が残されていた。
1.(表) 天保十年 亥7月  奉 新建立龍王神○○(以下不明)
   (裏)   天保拾年亥甚旱魃に付為雨乞御社新建立○(以下不明)
 早速雨頂戴仕候に付御社新建立仕申候
 以前新建立与當亥迄に五拾ケ年相成申候
2.(表) 昭和拾参年四月弐拾九日遷座 出征軍人武運長久 
 再建龍王神社本殿一宇○(以下不明)
 五穀豊穣 氏子繁盛 田熊(以下不明)
  (裏)  当社新建ハ 天保拾年ヨリ以前ナル事五十年ナリ候 龍王神社御本殿破損甚ダシキタメ氏子協議ノ結果昭和13年4月29日再建ス氏子中揃ッテ奉仕セリ
 殊ニ昭和12年7月以来支那事変ノタメ田熊ヨリ出征セル軍人アリ故ニ併セテ武運長久ノ祈願奉仕セリ(註、遷座とは、祀り場所を移し変えたこと。)正遷座奉仕田熊八幡神社外四社々掌 郷社綾部神社々司 豊田元留 菅原祐弘 
 創立にあたる新建は、天保拾年(1839年)より50年前と言えば、寛政元年(1789年)に相当し、世に言う「寅卯の大旱」(明和7~8年=1770~71年)や天明の大飢饉(1783・87)などの背景が考えられる。また、お守り札に相当する勧請された装飾模様の板は、風化して全く内容不明であったが、そののこし文に相当する書面が下木の御大師講の保管文書に存在していた。8つの頭をもつ龍の絵を中心に「○○八頭龍大神守護 講社中へ下附 戸隠山八大龍頭龍眞像」とあり、これにより経過は不明だが、遠く修験者の聖地で知られている信州戸隠山の戸隠神社より勧請されていることが判明した。こうした由緒をもち歴史的な役割を果たして来た龍王様であるが、長く神事もなく、祀っていないとのことであり、今やその存続が問われている。
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山の頂上なので見晴らしがとてもよくて、那岐連邦が一望できます。
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                                 ここも参道です。