答えが解りますか?-和算に挑戦してみよう!ー

yougaku7.jpg

洋学資料館企画展「くらしと実学ー在村知識人の活動ー」

2013年11月30日(土)~2014年3月16日(日)【9時から17時(入館は16時30分)】
場 所:津山洋学資料館  ※問い合わせ:0868-23-3324(津山洋学資料館)


和算と言えば難解だと思われがちですが、それを昔の人はスイスイ難問を解いていたのですから偉いですよね。今よりはるか昔に杭などの測量器具で精密な計算ができた和算ってすごいですよね。測量器具の本物をこの機会に是非ご覧ください。

yougaku1.jpgyougaku3.jpg

測量器具

numno2.jpgsokuryou.jpg

デザイン化された算術                   測量器具
縞帳(津山郷土博物館所蔵)縞模様の見本帳。着物の柄を指定する際に使用しました。この縞帳の中ほどに「算木崩し」の柄が張り込まれています。

nakamurake.jpgkameichi.jpg

中村家と地域
 江戸時代、農村で開業する医師は、同時にその地域を代表する知識人でもありました。田熊村の中村家は医業のかたわら、周辺の人々のさまざまな相談にものっています。また、和算のほかに絵画や将棋など多彩な興味を持ち、その方面でも地域に貢献しました。

 美作の和算家として有名な周介は、京都の古方医で、日本初の人体解剖をした山脇東洋の師・後藤艮山(こんざん)の孫に医術を学び、名医として周辺の人々から慕われたと伝えられます。また、津山藩の絵師狩野如林について絵画を学び、多くの作品を残しました。

その腕前を生かし、田熊に程近い、河面にある清瀧寺本堂の天井に直径2.5メートルの鳳凰図を描いています。
 周介とともに堀坂の暗渠工事を指導した甥の嘉芽市は暗渠完成後、江戸に出て、幕府天文方の渋川佑賢らに師事しました。修業後、郷里に戻った嘉芽市は、田熊村の庄屋として、村民の生活をささえました。

yougaku4.jpgyougaku5.jpg

田熊村新開場所絵図                 西洋流測量術の解説書

yougaku9.jpgyougaku10.jpg

中村周介絵画習作                   和算を教える

 中村周介は、1750(寛延3)年、田熊村で生まれました。後、京都に出、医学の修行をし、同時に関流和算家・青井正蔵のもとで算術の修行に励んでいます。帰国してからも研鑽につとめ、数多くの門人を育てました。中村家に残された資料の中に、周介宛の算道修行の「盟文」があります。これを見ますと、田熊村だけでなく、周辺の村々からも教えを請いに、人々が訪れたことがうかがえます。それだけに、1825(文政8)年に周介が亡くなると、多くの人が嘆き悲しんだと伝えられています。

wasan1.jpgwasan.jpg

周介の甥、嘉芽市は1806(文化3)年に生まれ、13歳のころから周介に和算を学び、奥義を受けるまでになりました。幼いころより「神童」の誉れ高く、暗渠完成後、江戸に出て、算術修行をしました。帰郷後、200人余りといわれる門人を育て、1878(明治11)年に亡くなりました。同じ田熊の八幡神社には嘉芽市の門人が奉納した産額(額や絵馬に和算の問題や解法を記して社寺に奉納したもの)が残されており、津山市の重要文化財に指定されています。

洋学1.jpg洋学23506.jpg

案内チラシ と 算仙 中村周介・中村嘉芽市


津山に残る和算家の足跡を訪ねて。2013年12月1日(日)取材

nakamura2.jpgnakamura3.jpg

堀坂暗渠入り口                     出口

nakamura4.jpgnakamura5.jpg

門人・有志により建立された中村嘉芽市のお墓   中村周介(右)・嘉芽市のお墓(左)

nakamura6.jpgnakamura7.jpg

清龍寺(津山市河面)               中村周介が奉納した本堂天井の鏡板蝋画

nakamura8.jpgnakamura9.jpg

大岡家屋敷跡(幕末から明治期に和算や洋学など様々な知識を得て活動していた岡家)


(取材協力:津山洋学資料館)