名護屋山三郎キャラクターコンテストの審査に参加しよう!


★名護屋山三郎キャラクターコンテスト 一般審査
◎4月5日(土)・6日(日)

◎津山さくらまつり会場(津山城・鶴山公園)

一次審査を通過した7点の応募作品が全て展示され、その中から来場者のみなさんの人気投票により優秀賞が選ばれます。お花見に出かけて、あなた好みのイケメンに投票しよう!!

★津山城Legend公式サイト
http://tsuyama-castle-legend.com/

▼一次審査を通過した7点の応募作品
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●名護屋山三郎ってだれ?
戦国時代に絶世の美少年として、また奥州攻めで一番槍の手柄を立てたことで名を残した武将で、歌舞伎の創始者と言われる出雲阿国とのロマンスがあったのではないかとも囁かれています。


soukanzu.png●名護屋山三郎と津山との関わり
実は、このイケメン山三郎は津山に大変深い関わりがある人物!!
山三郎の妹、岩は津山藩藩主である森忠政の元に嫁ぎ、山三郎は忠政の家臣として仕えました。
美 しい容姿に加え、茶道や和歌に関しても見識が深い事から饗応役として取り立てられました。また、山三郎の妹2人も森家の重臣と婚姻を結んだことで、山三 郎は森家中で大きな発言力を持つことになります。それを快く思わない同僚の井戸宇右衛門と津山城築城の場所を巡って口論の末、抜刀し二人共亡くなってしま います。時を同じくして、宇右衛門の弟甚三郎、惣十郎の2人も差し向けられた刺客によって討たれました。この事件があってから後、忠政は縁起が悪いとし て院庄への築城を中止して現在の津山城を築きました。

●「にらみ合いの松」
井戸兄弟は国道の南側に、山三郎は北側に葬られ、その墓上に植えられた松が今に至るまで「睨み合いの松」と呼ばれ、当時の惨劇を物語っています。
初めは国道の左右に墓がありましたが、通行人に対してしばしば奇怪な事があるというので、明暦年中(1655)現在のように国道を北に変えたといわれています。(院庄公民館創立10周年記念「院庄誌」より)
★「睨み合いの松」の取材記事はこちら
https://www.e-tsuyama.com/report/2011/04/post-145.html

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