鏡野郷土博物館(鏡野町)

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鏡野博物館に展示されている森原人形。(2014.9.3)

 薪(たきぎ)森原村はかつて人形芝居が盛んであった。操り人形芝居・森原デコ・森原芝居・森原人形芝居・作州人形・人形踊りなどさまざまな呼称で愛称された。住吉座とも呼ばれるようになったのは、明治40年(1907)の人形芝居再興のときからであろうか。作陽誌には、

住吉 地名なり。同村(薪森原村)に在り。昔薪郷の五所の天神九月の祭に神輿皆此に会す。
之を五所神行と謂う。長幼相聚(あつ)まりて遊嬉す。又南仮屋、北仮屋なる共に地名有り。常日市廛(してん)(みせ・商店)の跡なり。

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鏡野郷土博物館は、町内の歴史資料や町民から寄せられた民俗資料が展示してあります。


森原人形

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たまたま昭和36年(1961)夏、岡山県美作地方民俗綜合調査が鏡野町などで実施された。調査団の調査項目の中に芸能があったので、調査団は森原人形芝居の上演を要請した。またかつて郷村青年団長で森原人形芝居を側面から応援した経験をもつ鏡野町長中谷鉄甫の肝入りもあって、人形芝居仲間は稽古に稽古を重ね、昭和36年8月郷公民館で上演した。

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昭和36年8月25日付の「鏡野広報」の記事には
"郷土芸能"脚光あびる -美作地方民俗綜合調査-
 さる8月20日、東京教育大学和歌森太郎教授を団長とする"美作地方民俗綜合調査団"が来町、この地方に古くから伝わる芸能・民謡・風俗などを実地調査の結果、過去のものとして忘れられようとしている郷土芸能が脚光を浴び、その認識を新たにしている(中略)。鏡野町は社会・芸能・口承の三班の調査対象となっている。
 昭和36年上演の演目は「絵本太閤記・十段目 尼崎の段」であった。この演目は、夏に上演する演目であるということと、かつて住吉座の一員であった杢治郎の最も得意とする演目でもあったからである。この執筆に当たっては川端和生(元鏡野町文化財保護審議会委員)より、多大の御教示を戴いた、記して謝す。なお昭和6年8月15日の山陽新報社主催郷土民謡小唄大会に、森原人形が出場した年を従来の諸書が「昭和5年8月15日」としているが、今回の資料蒐集によって、大会出場は「昭和6年8月15日」であることが判明した。(資料提供:鏡野博物館)


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鏡野の四季のすがたと、太古の昔から現代に至る歴史を自然科学の情報も交えて年譜で紹介。

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縄文時代から安土桃山時代までの歴史を出土品や復元図などで立体的な展示を行っています。

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鏡野の歴史

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鏡野の様々なくらしのようすを、農耕や特産品・自然環境を通して紹介。

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また、囲炉裏端の復元展示や地形模型・情報検索などで、ふるさと鏡野を詳しく解説しています。

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昔の農機具

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昔の農機具