「太田三郎 2010-2014」作品展がありました。

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上記写真は、広島市北部を襲った大規模な土石流の被災農家からいただいた稲を細かく粉砕し、ホームセンターで購入した「まさ土」に混ぜてつくった「可部のおにぎり」です。


奈義町町制施行60周年記念/奈義町現代美術館開館20周年記念
「太田三郎 2010-2014」が、2014年11月22日(土)〜12月23日(日)まで奈義町現代美術館ギャラリーにて開催されました。

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太田 三郎さんは、山形県西田川郡温海町(現・鶴岡市)出身の芸術家です。(前回の取材)
郵便切手や消印を用いた作品や、身近なものをオリジナルの切手の形にした作品制作など、
郵便を素材に「時間」と「場所」の関係性をテーマとする現代美術家。
近年は一般市民と共同制作するアート・プロジェクトを各地で展開している。


本展は2010年以降に発表した作品に最新作を加えて展示するもので、

ハンディキャップを背負いながらも家族の愛情に包まれて前向きに生きる子どもたち、
健常児として生まれながら身近な大人に虐待されて亡くなる子どもたち、

太平洋戦争で父親が戦死したのち今日まで行きてきた高齢の方々を主題にした切手作品、また、東日本大震災に関する作品などで構成されます。(文:奈義町現代美術館の説明文より)

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「石の小箱」は虐待されて亡くなった子どもたちに捧げる作品である。切手状の紙片には、子どもの名前と死亡時の年齢および年号を記した。100人の子どものうち92人は5歳以下である。箱には小さな石を収めた。私はこれらの小石が夜空に放たれ、星になって輝くさまを思い描きながら、手を合わせる。

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「あひるの家族」 (写真がガラスに反射してしまいうまく撮れませんでした。)       

染色体異常が原因で障害を持ダウン症児が、どのように学び、成長した後どこで働き、何を喜びとして生きているかを知る機会は少ない。世の人々が彼らやその家族を理解することで、ダウン症児のみならず弱い者や劣る者をやさしく受けとめ、慈しむ心が社会に広がることを強く願う。

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「戦争遺児」 (写真がガラスに反射してしまいうまく撮れませんでした。)

「POST WAR 69戦争遺児」は父親が戦死あるいは戦病死した時の状況およびそのことによる暮らしの変化、今日までどのように生きていらしたか、未来の人々に伝えたい言葉などを語ってくださった。

集団的自衛権の行使が容認されて、」日本は戦争をしやすい国になるのだろうか。69年間戦争をしなかった日本が、これから新たな「戦争遺児」を生みだしてはならない。

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ヨイコヌリエ 戦時中のぬりえの複製に、マーキュロクロム液(赤チン)を塗った作品。

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奈義現代美術館

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2012年4月、私は港の周辺を歩いて、失いたくない玉野の風景を撮影した作品「Drift cards」

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「Drift cards」

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 東日本大震災で被災した人々に対して、芸術は役にたてるだろうか?震災直後の私は無力感に襲われて沈んでいたが、時間の経過とともに、自分ができうr小さなことから始めようと思いたった。そのひとつが「瓦礫シェア・プロジェクト」である。漂流木材瓦礫を詰めたペーパーウェイトを販売し、収益を被災地の復興支援に役立てて貰う計画、透明ケースに詰めた木片は、かつて建物や家具の一部として被災地にあった物たちだ。小さな瓦礫が被災地の復興に繋がることができれば幸いである。

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2014年8月20日、広島市北部を襲った大規模な土石流は、人的被害として過去30年間の日本で最大となった。9月30日、稲刈り目前で被災された農家を訪ねて泥に埋もれながらも固く実をつけている稲穂を分けていただいた。試行錯誤した末にできたのが「可部のおにぎり」である。農家からいただいた稲を細かく粉砕し、ホームセンターで購入した「まさ土」に混ぜてつくったおにぎり。中には稲籾すなわち稲の種子が入っており、土に埋めればやがて芽が出て米を収穫できるだろう。可部地区を始とする、すべての被災農家の方々に捧げたい。(文:説明文より抜粋)