高良神社 (押入)

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高良神社 (押入)
『美作國神社資料』には「苫田郡高野村大字押入字押入字上押入 村社 高良神社 祭神 武内宿禰命 祭日 十月二十日 社殿 本殿 神楽殿 氏子数 四十五戸 境内神社 荒神社 祭神 素盞鳴命 由緒沿革 不詳」とあります。『作陽誌』には「高良大明神 一村氏神或いは本郷北村も聯加 祭神 武内大臣 本社 祭日 九月 末社 若宮大明神 境内に在」とあります。祭神の武内宿禰命と武内大臣は同じ神様です。この武内宿禰命は、景行天皇、成務天皇、仲衷天皇、応仁天皇、仁徳天皇の五天皇に仕えること在官二百四十余年の人です。

 神功皇后の三韓遠征にも参加しています。現在も「大臣」と云う職がありますが、『愚管抄』によると「成務天皇のとき武内宿禰が大臣となる。大臣と云う称号 は、この時に始まる。武内大臣は天皇と生まれた日が同じであったために、特別の寵愛を受けたのだと」と云う事です。なお、拝殿には昭和五十六年書の高良神 社の由緒書が見え、神功皇后が遠征の帰りに、この地から屏風岩淵の水鷗を眺めたところ、感慨深いものがあり、ここに神功皇后・武内宿禰を祀ったとの文字が 見えました。(参考:文中資料 日本の神様読み解き辞典)資料提供:高野公民館 館長 近藤恭介さん

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鳥居                             拝殿

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拝殿

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本殿

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高良神社由緒

 御祭神 神宮皇后 武内宿禰  境内末社 荒神社 迦具土神 天満宮 菅原道真公 

当社は往古神宮皇后三韓より帰朝の節因幡の国より美作路を経て京に上り給ひし時此の所の鴨川の屏風岩と云える青渕に水鷗の群集せるを御覧ありて御感慨殊に深くわたらせ給ひ部下に命じて其処に祠を建て給ひしと云ひ傅ふ

後村民前記御祭神を祀りて産土の大神として崇敬す 爾来年月を重ねて御神徳愈厚く健康長壽神 安産の神として参拝者多く現在に至る 昭和五十六辛酉歳元旦(額より)

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神楽殿

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末社神

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境内の様子 (2015年1月25日取材)