山西ドジョウ(高野山西)

dojyo3.jpg
 ドジョウは淡水産の小魚で、うなぎのような形をしています。大きいもので20センチ。口にひげがあり、味はあっさりして脂肪が少なくビタミンAが多い。
 水の浅い底がどろのところに住み、危険を感じると水をにごらせてどろの中にかくれます。雨の前には水中からうき上がりぽつりと空気をはき、また空気をすって腸まで送る腸呼吸ををするおもしろい魚です。
 ドジョは流れの少ないどろ土の深い所、ちょうど湿田のようなところがぴったりでした。ここはドジョウのいちばんのすみかです。

dojyo1.jpgdojyo2.jpg

山本博行さんにどじょうが沢山いるという田んぼまで案内いただきました。              

seri.jpgdojyo5.jpg

田んぼの畔にはセリが沢山生えています。    これが山西に住んでいる赤ちゃんドジョウ

dojyo9.jpgdojyou8.jpg

山本さんのご自宅の花が綺麗に咲いています。(取材2015年4月9日)


山西のドジョウ
 湿田は山西、高倉、勝部、志戸部、沼、紫保井、籾保などに広くありましたから、この辺り一帯がドジョウの大産地でした。この水田が自然の養殖場となっていたからです。
 6月の長雨ごろ卵をうみます。水田にいるものが、雨のために小みぞに泳ぎ出て、それが水の少ない浅い水たまりを上に上にとのぼってゆくので、それをざる(ソウキ・ドジョウゾウキとよんだ)ですくう「ドジョウすくい」にいきました。雨になると子どもたちがソウキとフゴを持っていきました。
 8月ごろには稲田のあぜ近くにモジをつけました。竹で作った小さいモジにタニシをつぶしていりぬかをまぜたものを入れ、夕方つけて早朝これを上げます。ときにはモジいっぱいに入っていたこともありました。
 農家の人でこれをしごとのようにしていた人もあって、毎朝5、60キロもとったと聞きました。これもタニシと同じ仲買人が買いに来て、買い集めざるかごに入れて、汽車で大阪、東京までも送っていたそうです。山西にもこんなドジョウ取りの人が何人もあって、中にはドジョウでかせいで家を建てた人まであったそうです。
 うちでは夏ばて防止の栄養によくこのドジョウを食ぜんにのせました。毎日のように生きのよいぴんぴんのドジョウを買い、朝のみそしるに入れます。少しぬるぬるするので妻はきらったが、母も子どももぼくもみんなすきでこれを食べていました。頭はつつーと吸うと、骨が残って食べられる。胴ははしにはさんで引くと、骨と身がきれいにはなれてうまく食べられました。ドジョウは栄養もすぐれ味もまたよろしいものでした。
 
 そのドジョウのゆくえは?
 とってもとってもへらなかっただいじな資源が今ではどうでしょうか。これもタニシ同様にいなくなりました。といってもタニシほどではなく、下の田の岸のほとり(やね)のみぞさらえをしていると、ときに1、2ひきの小さなドジョウがどろの中から出ることがあります。でもふつの田では見られなくなってしまいました。  
 ドジョウつりではさおの先に、短い糸にはりをつけ、それをドジョウがえさとまちがえて口でつつくのを何びきもつったものでした。イネをかりあげた後も田には年中水があるから、いろいろな水棲昆虫がいたし、カラスガイがどろに小さなあなをあけてかくれているのを、カヤの穂先でつり上げたりもしました。今はこんな遊びはできっこないなあ。 
 湿田がすべて乾田にかわり、水田の除草にはきつい農薬を使うから魚などの動物はぜんめつしてしまいます。アメンボ、ミズスマシ、マツモムシ、ミズカマキリ、ゲンゴロウ、ガムシ、コオイムシ、トンボ、ヤンマのヤゴなどなど、これらのかわいい水棲昆虫はタニシやドジョウとおなじ運命でと考えてみると、この大自然の中の美しいひとつひとつの小さなささやきが、すごいいきおいでこわされていることを感じます。(文:1998年発行 高野小学校 むかし高野より)