高津神社(大字里公文)旧久米町

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高津神社 大字里公文字葉山

 祭神は大日霊貴命で、配祀は倉稲魂命・奥津彦命・奥津姫命・軻遇突智神・天目一箇神・天香々背男神・素盞鳴命・大山祇命・月読尊・級長津彦命・級長戸辺命・蛭児命・保食神祭日は、例祭10月17日、祈年祭2月23日、新嘗祭11月14日、挿秧祭5月1日
神号は、文化2年(1805)から「高津大神宮」と唱え、明治維新後「高津神社」となって今日に及んでいる。

 貞享四(1687)年森藩の支配下にあり、お宮の森の保護にもあたる程の関心もあったものである。しかし、此の神社の創立も詳かでなく、伝説によれば、仁 徳天皇の御宇、大日霊貴命(天照大神の別名)を祀り、社号をその時の帝都の名をとって高津神社としたものであるとも言い、又一説には堀河院の時、倭文郷が 山城の国加茂大神宮の荘園になった際に右大神を勧請したものであるとも言い、文献の徴すべきもののないことは残念である。けれども古来国主や領主の尊崇の 厚かったことはたしかのようで、天正二年三月安芸の大守毛利輝元の本殿再建寄進、時の領主松平三河守が武運長久を祈り寄進した石燈籠一基、絹幕一堤燈四張 がある。社号は文化二(1805)年高津大神宮と称せられたが明治維新後、旧社号の高津神社に復した。

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城跡

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鳥居が多い

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境内

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拝殿

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拝殿

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拝殿

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本殿

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本殿

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末社神

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境内

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手水鉢

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境内神社
高良神社 祭神 武内宿称 本殿梁行二尺桁行一尺八寸 柿葺 大正三年五月建設
稲荷神社 祭神 倉稲魂命 本殿梁行二尺八寸桁行二尺五寸 柿葺 命じ二十二年十月建設
以上の如く記されており、社地と山林を合わせて財産の多いことは町内随一であるばかるでなく、以前の久米郡福渡町が御津郡の内に含まれることとなり、志呂神社が久米郡内で無くなった今日においては郡内随一である。

(文:久米町史より)2014年9月18日取材