坪井山 称念寺(大字坪井下)旧久米町

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 本寺は九品山来迎寺となっているけれ共、現在は京都の知恩院の直末である。
 元、此の寺は此の地の大庄屋福本小左衛門が自分の所有地のうち、現在称念寺のある位置に独力で小庵を建立した。時は慶長7(1602)年で、坪称庵と称した。其の後荒廃し寛永3(1626)年、福本小左衛門は独力でこの坪称庵を再建した。それから少時たった寛永9(1633)年10月22日、石州浜田生まれの道誉雲西という道心者が此の坪称庵に入って住職的な役割りをすることとなった。道誉雲西は正式な僧侶ではなく、俗人であり乍ら仏道修行に熱中した人であるが、これをもって開山と見ることもできる。

 元禄元(1688)年、坪井山称念寺と改称し、浄土宗鎮西派に属し、津山の九品山来迎寺の末寺として、当時の美作の國主森藩の役所に届け出た。
 文政12(1829)年改築して現在の建物になったのであるが、元禄元年からここに到る間の百四十年ばかりの間において、福本家の外に安藤家の家運の隆昌があり、此の度は福本・安藤両家の提携によって工事も進められて現在の伽藍が完成したのである。
 大正14年、京都知恩院の直末(直接の末寺)となった。即ち現在は浄土宗、鎮西派知恩院の直末である。(2010年5月30日・2014年9月19日・2015年6月1日取材)

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出雲街道 坪井宿の説明板

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説明板すぐ近くにある称念寺の山門

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称念寺の山門

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本堂と庫裏                        鐘楼   

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本堂                            本堂軒先にある彫刻

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 本尊は二尺八寸の阿弥陀如来の立像で、印相は上品下生、運慶の作とされている。又、当寺には一尺二寸の聖観音菩薩の立像で高さ五寸の台座に乗った仏像がある。此の仏像は行基の作として誕生寺の宝物であったが、山王進蓮社精譽上人戒定慧立大和上が、称念寺の後々までの寺門の興隆のために寄進し、文化6(1809)年3月に開帳されたものである。元来は子授け観音であるのだが一般には 子やす観音と呼び、安産の仏様として近郷に有名である。その会式の模様は大井西村誌に「毎年陰暦6月17日の会式には近郷より参詣の善男善女で境内は云ふも更なり露店軒を並べて坪井の街中人の海と化するの賑ひを呈する。」と書かれている。大正の十年前後迄はたしかにその通りであったことを記憶する。今はそれ程ではないが、子供を授かりたい人、安産を願う人々は、定められた会式の日には勿論のこと、普段の日でも詣でる人があり、子安観音の信仰はずっとつづいている。(文:久米町史下巻より抜粋)


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寺総代の真家規善さんに本堂を案内いただきました。

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天女と翁の物語でしょうか。

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福本・安藤両家の墓地を真家規善さんに案内いただきました。(2015年6月1日)