国指定史跡 三成(さんなり)古墳(大字中北下)旧久米町

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三成古墳の復元整備について
 三成古墳は、昭和53年に行われた発掘調査によって、美作地方の古墳としては、例がすくなく貴重なものであることがわかりました。このことから昭和54年10月、国の史跡指定を受け、史跡内用地を買収し、国および県の補助により57年度に復元整備を行いました。
復元計測によって得られた数値をもとに墳丘を復元し、地中より発見された石棺は埋め戻して、地上に同じ材質の模型をつくりました。また、あわせて説明板や標柱、歩道などを設置し見学の便宜をはかっています。

 三成古墳(正式名・三成四号墳)は、昭和52年7月、墓地の造成工事中に人骨の残った箱式石棺二基が発見されたことにより存在が明らかになった古墳です。

《墳丘》
墳丘は、自然の尾根を利用してつくられています。地形の制約があるため、墳丘のかたちはややアンバランスですが、平野に面した南側では、古墳のかたちを比較的良く残しています。また、葺石は後方部のみにありました。発掘調査の結果、全長35メートルをはかる、この地方では例のすくない前方後円墳であることがわかりました。
《埋葬》
この古墳では、前方部と後方部でそれぞれ一基(第一・二主体)後方部の墳丘裾で三基(第三~五主体)の組合せ式石棺と呼ばれる埋葬施設が確認されました。
第一主体からは壮年の男性と女性、第二主体からは熟年の女性と小児と推定される人骨がみつかりました。また、人骨と石棺内部は朱で塗られていました。第三~五主体はいずれも小児、幼児棺とおもわれます。
《出土遺物》
発掘調査によって次のものが出土しました。
鏡(仿製変形四獣鏡)...1・鉄剣...1・鉄斧...1・勾玉...1・手鎌...1・土師器・片...若干
これらの遺物は、久米町歴史民俗資料館に展示しています。(文:久米町教育委員会三成古墳パンフレットより)(2015年7月15日取材)

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墓地を通り抜けて行くと三成古墳が一望できます。

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出雲街道が通っていたせいか、遠く島根からも見学に来られるそうです。

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三成古墳の案内板

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 寺城山 密厳寺の御住職の奥様からお聞きしたのですが、当初は、木が生い茂っていて古墳だとはだれも思っていなかったそうです。

毎年、冬になると少しずつ木を切って薪にしていたそうです。その後、地区の人とここを墓地公園にしようと、ブルドーザーで掘っていたら、ブルに石室の蓋が乗っていたので、びっくりした現場の人から、「先生!来てみて!」と言われ急いで行って見ると、鮮やかな朱色の色をした蓋がありびっくり!反対側を掘ったら、また出てきてびっくり!
現場の人も気味悪がって「酒と塩ください!」と言われたと発掘当時のエピソードをお話し下さいました。

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当時の発掘時の写真で、男女二対あり、蓋は綺麗な朱色だったそうです。学習に来られた学生さんが写真を見て「歯まできれいに残っている」と驚かれるそうです。

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三成古墳

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三成古墳跡に行く最初の急な坂です。ここを上らず通り過ぎるとなだらかな坂になるので安心。



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空から見た写真です。

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この仿製変形四獣鏡は古墳時代の優れた芸術品ですね。津山市久米歴史民俗資料館

2015年7月19日取材