高野山西はタニシの産地だった。

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 タニシは、淡水産の巻貝です。貝の口にふた(へた)があります。この地方では「タノシ」ともいいました。
 昔の山西の水田はほとんどの田が湿田で、またどの農家でも牛をかっていました。牛は農作業にかかせませんでした。まや(牛ごや)のしきわらで、だいじな堆肥を作りました。その堆肥はほとんど田に入れました。それがタニシのえさをふやし、そこがよいすみかになりどの田にもたくさんのタニシが田のどろの上をはっていたものでした。

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 タニシのいちばんおいしいのは、4月3日のひな祭りころです。このころの水田はまだつめたいが、はれた日にはタニシが土から出ています。これを小あみなどでとりました。水やどろがつめたくても、すあしで水田に入って「タニシひろい」をしたものでした。
集めたタニシはなべでゆで、ざる(ソウキ)にあげて、ひとつずつ「はり」で中の身をぬきとります。これを水洗いすると、へたとはらわたはきれいにとれて、 かたい貝の身がのこります。これはごちそうでした。「タノシのしらあえ」がおいしくて、お節句の煮しめにはかならず重箱の中に入っていたものでした。「お ひな様は、自分の耳ととりかえてもというほどタニシがすきだ」と伝えられていました。そんな楽しみも今はなくなりました。

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 また、買いにきた仲買人に売ったりもしました。老人や子どものしごとですから安く買いたたかれていたようです。タニシ1キロには、とてもたいへんな時間とてまがかかりましたの に。それを安く買い集めた仲買人も津山の問屋でまた買いたたかれ、東京や大阪に送られていました。山西タニシもなかなかのものでした。一時はそうとうのか せぎがあったのです。そしてそのタニシも今はすがたをけしてしまいました。(文:1998年発行 高野小学校 むかし高野より)

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今高野山西のたんぼにはタニシがないとのことで、他の市内のタニシ探したのですが、中々いなくて諦めかけたとき、「裏の川でタニシが獲れました。」と茅町の「淡路屋うどん」さんが情報をくださいました。その上、わざわざ捕りに行ってくださっていました。本当にありがとうございました。(2015年8月4日取材)