「津山商人の歴史と文化」を語る森本信一氏

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2016年11月13日(日)津山土岐家財団記念館で津山土岐家財団主催の第6回講演会があり、森本 信一 氏(津山社会教育文化財団代表理事)を講師でお迎えして行われました。演題は「津山商人の歴史と文化」-津山・森藩・松平藩の代表的な豪商「錦屋」(森本家)にまつわる興味深い商家の歴史や文化について語る-で、満席の中で興味深いお話を聞かせて頂きました。(2016年11月13日撮影)

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津山土岐家財団記念館

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津山土岐家財団          ↑元禄7年(1694)と享保5年(1720)の時の錦屋の位置図

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質入借金棒引長面          ↑森本家に残る裏千家の借用書   ↑アラブの富豪が森本家のお宝を絶賛

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文箱は津山藩祖 松平秀康(徳川家康二男)の長男松平忠直に二代将軍秀忠の娘 勝姫が嫁した時持参した文箱

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二代将軍秀忠の娘 勝姫が嫁した時持参した文箱の金銀の色が未だに美しく輝いています。

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筒の部分が四角い箱形をしている木製の天体望遠鏡で、製作者は18世紀前半に大阪の天文道具師「小林常行(対物レンズの木枠に焼き印がある)」という人物です。
全長3.1m、口径35mm、倍率70倍、桐タンスの製作技術の応用で、木製の筒が滑るように3段に伸縮します。当時の木工技術の水準の高さが分かります。
全国で8セット所在が確認されており、これは長崎大村藩の「天文方」で実際に使われていたとのことです。金属の薄板加工にかえて、木製の筒を作るところなど「小林常行」の技巧には驚かされます。

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七珠算盤

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和時計
「和時計」とは16世紀以降、西洋から持ち込まれた時計を基に日本人職人の手により設計、製造された時計のことをいう。展示の時計は別名「大名時計」とも呼ばれた印籠型の十二支時計で、岡山池田藩で使われた後に津山家老永見家に下付されたもので、今でも精巧に時を刻む。
ボデーは真鍮、歯車等の機構部品は鉄製で、針はなく十二支の文字盤が回転し、印籠型ケースの穴から時刻を読み取る構造。当時、時計は工業製品ではなく、大名お抱えの「時計師」が手作りで仕上げた一種の工1芸品だった。

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美作地方の各種藩札                  森本家の家訓

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錦屋ののれん                     森本の文字が美しいロゴマークになっています。

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森本家の略系図

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                  江戸時・明治時代 伏見町錦屋本家家屋見取り図

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森本家(錦屋)の歴史

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森本家(錦屋)の歴史