極楽山 光厳寺(西寺町)

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 極楽山 光厳寺は、1614年(慶長19)に院庄にいた豪商蔵合氏の願いにより、院庄の清眼寺住職秀照により建てられました。本堂は当時のものといわれ、本尊は不動明王です。子育て不動として有名で、多くの人がお参りしています。不動明王像は、船頭町の田原屋六兵衛が牛窓沖から引き上げられたといわれる等身大のもので平安末期頃に作られたものです。
 蔵合は森忠政の城下町づくりのため、二階町の日専連・津山中央クリニック辺りに呼び寄せられました。初代は隠居秋庵孫左衛門、2代目は山口祐雪。本名は山口氏でしたが、屋号が蔵合屋と名のっていたので2代藩主森永継から「ぞうごう」と呼ばれ、苗字を蔵合と変えました。蔵合山口氏ともいわれました。

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 井原西鶴の「日本永代蔵」5巻の中に『蔵合といえる家は蔵の数9つ持ちて富貴なれば、これまた国のかざりぞかし』と書かれています。太宰治は「新釈諸国噺」の中に「むかしの美作の国に、蔵合という名の大長者があって、広い屋敷には立派な蔵が九つも立ち並び、蔵の中には金、銀、夜な夜な呻きだして、四隣の国々に隠れなく、美作の国の達人は、自分の金でもないのに蔵合の大財産を自慢し...『蔵合様に及びもないが、せめて成りたや万屋に』...」と書いています。

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豪商蔵号は酒造り、金融、船荷などを手広く商売し、大年寄を勤め、苗字帯刀を許されました。そして、屋敷は二階造りが特別に許されたことから二階町という名がつけられました。

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明治になって絶えてしまいましたが、墓は商家としては珍しく大名級の大きな五輪塔が5基あります。
不動明王を納めた六兵衛、林野三日月城主・後藤家の墓もあります。

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境内には1862年(文久2)岡崎造園師が寄進した閻魔様の石像があります。

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不動明王像は毎月28日に拝観できます。外屋敷(広済寮北筋)には、足の痛みを治すことで名高い足王様が祀られています。
(文:『作州城西史』より)