DE50形ディーゼル機関車

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 1970年(昭和45年)に国鉄が日立製作所笠戸工場にて製造したディーゼル機関車です。 本形式は津山扇形機関車庫に保管される1両しか製造されていません。
 当時既に大量配備されていたDD51はディーゼル機関を2基搭載することによる 保守費用の増加の問題を抱えいた他、重量の問題で支線区での運用にも制限がありました。 また、支線区用として開発されたDE10は出力が小さく、速度面の問題がありました。 これらの問題を解決するため、 "DD51の代替・後継となり得る出力"と"DE10のように 支線等でも運用できる重量及び高い保守性"を両立した、 最強の純国産ディーゼル機関車の開発がスタートしました。そして誕生したのがこのDE50です。

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 特徴はなんといっても、国産中速ディーゼル機関として最高の性能を持ったDMP81Z(2,000馬力/1,500rpm)を搭載することです。これにより、DE10のような1基のエンジンでDD51に匹敵する出力を得ることが出来ました。(DD51は1,100馬力×2基=2,200馬力/1,500rpmでした。)また、このエンジンはDE10等に搭載されるDML61系エンジンを発展させて開発されたものであり、磨耗部品の多くを流用することが可能でした。

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 また、連続する下り勾配での加速を抑制するために、流体変速機のオイルの流路を流れにくくして、その抵抗でブレーキを掛ける「ハイドロダイナミックブレーキ」を国鉄機関車としてはじめて搭載した車両でもあります。

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 DE50-1は、量産車ではなく、試作車です。しかしながら、通常国鉄の試作ディーゼル機関車には形式番号として「90~99」が付番されているはずです。これはDE50-1が単なる試作車ではなく、量産を前提とした問題点の洗い出しを目的とした量産先行車であり、問題が無ければそのまま量産される予定であったことに由来します。

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 試験的に生産されたDE50-1は、勾配とカーブの続く厳しいコースとして知られる中央西線で活躍し、同線電化後は同じく難コースである伯備線で運用されました。

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 このように当時最高の性能を持ったディーゼル機関車だったDE50ですが、オイルショックによる急速な電化計画の発展や生産性向上運動(マル生)による労使関係の荒廃(当時、国鉄労働組合は新形式車両の投入に極めて否定的な態度をとっていた)などにより量産を目前としたところで量産計画は中止とされてしまい、最高の性能を持ちながらも、以後DE50が生産されることはありませんでした。

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 たった1両のDE50となった1号機でしたが、量産計画中止後も伯備線で本線運用が続けられていました。しかし、運用中の故障により走行不能となったことをきっかけに、伯備線の電化(1982年)よりも前に休車とされてしまいます。これは1両だけの異端とも言える車両のため保守や運転の面で敬遠されていたことが原因と考えられます。その後は廃車にされることもなく、機関車庫の片隅で放置されていましたが、1986年についに廃車となりました。その後、解体費用等を理由に、解体されることも無く岡山電車区気動車センターにて長年野晒しとなっていましたが、2002年に津山に残る扇形機関車庫に移動され、保管されることとなります。2007年の「岡山デスティネーションキャンペーン」の一環として扇形機関車庫と共に観光スポットとして一般公開され、多くの鉄道ファンに知られることとなりました。(文:みまさかローカル鉄道実行委員会パンフレットより2007年2008年