【津山人】田中富三郎(加茂町)

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 1868年(明治元年)3月3日に美作加茂で生まれる。万年筆業界の先駆者で「田中大元堂」を経営。加茂西小学校に図書館を建設、奨学資金を贈るなど児童育成に貢献し紺綬褒章を授与される。サムハラ大神をあつく信仰していたため日清戦争と日露戦争で数々の危難をまぬがれ、サムハラ大神の霊徳を世の人々に分かつため私財でサムハラ神社を建立。神前扉材は伊勢神宮より賜った。戦時中に兵士にお守りを贈る活動をしていたが、戦後も小判の形のお守りを自費で作成し無料で人々に配布していた。多くの要人にも贈呈をした。90歳までは自転車を乗り回すことも平易だった。97歳の時でも壮健であり自らを青年と称した。「信仰は万益有って一害なし」と常に提唱。毎朝参拝を欠かしたことはなかった。1967年(昭和42年)12月3日逝去。享年100。サムハラ神社境内に胸像がある。宮司は養子が継いだ。(文:ウィキペディアより)

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田中翁頌徳碑は、加茂町スポーツセンターテニス場の隣(西加茂小学校敷地跡)にあります。

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 自分を育ててくれた郷里に恩を感じ郷里にある西加茂小学校に毎年のように寄付を行い、西加茂小学校には豊かな設備と蔵書が整うようになりました。そして田中富三郎氏は富三郎爺といわれる年になっても毎日大阪のサムハラ神社に出向き、郷里の西加茂小学校に寄付を続けました。

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田中翁名富三郎明治3年12月1日加茂町百々髙
矢伊之助氏二男生誕為人謹厳力行年19歳奮青雲      
志上阪苦辛成功累巨産専郷土希繁栄東西加茂小学
校中学校基本財産及西小学校新校舎建築用材全部
並髙等学校用材寄附連年運動會賞品学校設備費器
具等寄贈於地方金毘羅神社参道石段石大鳥居サムハラ
神社創設真福寺庫裡増築等々実世道人心為模
範其博愛徳行為顕揚PTA會興有志者相謀建碑芳
名傅後世而報謝表意者也云爾
岡田奨城撰文併書
昭和26年5月吉日建之
(2017年11月23日撮影)