医王山 等覚寺(大字宮尾)旧久米町

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医王山 等覚寺(大字宮尾)旧久米郡 (2014年9月17日取材)
天台宗の寺院である。作陽誌には嘉祥三(850)年の建立とあり、又、貞観二(860)年三月、天台座主慈覚大師が、清和天皇の勅命を奉じて建立したものともされている。何れにしても平安前期の開山創立ということになる。往古は十二坊もあったといわれるが保元年中(1156~1159)火災により末房悉(ことごと)く消失した。それから約六百年ばかりの間は様子がわからないが、江戸時代になって天和二(1682)年五月梁行二間、桁行二間の本堂が建てられ、それから九年の目の元禄四(1691)年三月十二日には庫裏が建築された。庫裏は敷坪十二大工、備前國奥(邑久)郡上山田村、光義次左衛門となっている。それから五十五年目の天明三(1783)年には鎮守八幡堂・門・飛境内の観音庵・大日堂が出来上がった。

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 又、嘉永五(1852)年六月には梵鐘と鐘楼が出来た。しかし、その梵鐘は太平洋戦争中に供出された。鐘楼は梁行一間半、桁行一間半、敷地三坪、当山住職運乗院覚證の代(嘉永五(1852)年頃)に出来ている。此のようにして、昔の十二坊の盛況には程遠いにもせよ、潔く復興のきざしが見えてきたのである。
今の西谷・東谷の地名は皆寺宇の遺跡で、西谷には如来塚があり、東谷には閼伽(あか)池があった。閼伽池は仏に供える水(閼伽)を汲む池で、此の池を穢(けが)す者には罰懲が加えられるのである。

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                                鐘楼

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境内

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 現在の等覚寺の西に大日堂がある。もとは等覚寺の堂塔伽監の一つであり、最近までかなりのお堂であったけれども腐朽のためかとりこわされて「ばん大日如来 安永四己・未天十二月二十八日」と刻まれた石の碑が納められた小さなお堂に変っている。
 又、此の寺には中須賀の吉井川に沿ったところに飛境内があって、ここに観音庵がある。観音庵は本尊が聖観音で、霊験あらたかのため日増しに信徒が増え、遂に院の庄の医師村山伊左衛門の発願によって小庵が結ばれたものが観音庵の起源である。その後、天明三(1783)年卯十月吉日に田ノ邑引乗寺隠居により再建立が行われている。

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地蔵

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 其の他等覚寺は貞観二(860)庚辰年より明治元(1868)年迄本村宇佐八幡宮(宮尾の八幡神社)の別当寺で、同社の境内に一宇を造立して本地堂とし、八幡大菩薩の本地である阿弥陀如来を祀っていたが、明治元年神仏分離の公達があったので、同年九月十三日、当寺の境外私有地へ引取り、八幡大菩薩と崇め奉っている。(文:久米町史下巻より抜粋)


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本堂の周りの木々がなくなり明るくなっていました。

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参道が整備されていました。

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随分と明るくなっています。(2018年2月24日撮影)