朝日神社(新田)

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 本神社は第26代継体天皇の御代に、当時神祇伯が素盞嗚尊は国土鎮護の神であるから、これを日本国内の川の西々、または山の尾前に勧請させられた。美作国にも旭川の西の木山宮、吉井川の西の上山宮、吉野川の西の高比野宮、広戸川の西の新田宮等がその時の鎮祀である。もと朝日大明神・新田宮・天王宮・牛頭天王社と称したが、明治4年朝日神社と改称した。昭和16年神饌幣帛料供進神社に指定せられた。御祭神 素盞嗚尊,武仁親王 旧社格 村社 (文:岡山県神社庁HPより)(撮影2017年10月14日)

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朝日神社の参道

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朝日神社略記
 朝日神社は人皇第26代継体(507年)天皇の御代に神祇伯本州に下向し(神祇伯とは当時の朝廷の中での神社行政を司る役職をいいます)(本州とは作州、美作国をさします)国土鎮護の神として廣戸川の西清野の山の底津岩根に祀りました。
『是より年久しく新田宮と敬い仕奉りし』と旧記に記されてあります。御祭神は素戔嗚尊です。全国にお祀りしてあります。又、この美作国に中にも河川の西、又は山岳の尾根などに勧請していると記されています。当時、広戸川の流水が多少変わっていたと思われます。

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 この美作国にあっては、旭川の西に木山宮(木山神社)、吉井川の西に上山宮、英田川の西に高此野宮(高此野神社)、広戸川の西に新田宮(朝日神社)、滝川の西に東吉田大崎宮、梶並川の西に余野素戔嗚宮(武神社)と名づけて、各神社とも同年代に鎮祭された神社です。

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 そのようにして、新田宮を廣戸川川筋勝南郡内、22ヶ村の総鎮守として尊崇しまして、その御神徳顕著で、荘園時代に至って、国司、地頭が争い、新田宮も御社殿は兵火にかかり、御社殿及び建造物ことごとく焼失しました。現在では、当時を偲ぶことはできませんが古文書等により見ることができます。

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 後になって、当時の氏子などが相談して、現在地(津山市新田262番地)に再建された神社です。
 尚、旧御社殿境内に残っていた鳥居を御本殿の土止めとして使用して現在に至っています。ちなみに、当時の形体は笠石の先端円形に造ってあって、非常に珍しい形をしています。
 明治17年政令によって「新田宮」を朝日神社と改称し現在に到っています。

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※追記
 福力荒神社は、元は新田宮の氏子でしたが、福力村として分村独立しましたので、称光天皇の御代応永10年に新田宮の御分霊を祀って、荒神社として、現在に到っているものです。(以上は横林家の祖、横林河内守起清文など、神主・横林武彦氏より提供)(文:『大崎の歴史と文化 神社編』より抜粋)

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朝日神社境内

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朝日神社境内

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朝日神社境内

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朝日神社境内

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朝日神社近くの御大師様でしょうか?