中北上(地域別/津山市/久米地域)

北家と後醍醐天皇説(中北上)

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 出雲街道に沿って大きなお宅があるのでお尋ねしてきました。当主の北平也さんにお尋ねしたら、この北家はおよそ900年前から続いておられるのだそうです。当所北家はここから2kmほど東にあったそうですが、火災に遭い200年前に現在地に移って来られ、その後、約80年前に大修理をなさったそうです。向かって右隣には造り酒屋で北家の分家の北酒蔵があったとのことです。(2016年8月11日撮影)

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妙福寺の百日紅

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 久米町中北上の国道181号線の北側にそびえ立つ岩谷山(483m)の麓に日蓮宗の妙福寺があり、本堂の西隅に二枝に分かれた百日紅の老木がある。
 サルスベリは中国南部の原産で江戸時代以前に渡来した。樹皮がなめらかでサルもすべり落ちるということでこの名がついた。毎年7月から9月にかけて紅色の花を咲かせる。
(2016年8月11日・14日撮影)

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北のスイリュウヒバ(中北上)

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 久米町中北上の国道181号線の北側に北家があり北家の家の前にある。よく手入れされ樹形は整っている。 本樹はスイリュウヒバと伝われているようであるが、サワラの園芸品種でよく庭園に植えられるヒヨクヒバと思われる。小枝や細枝は長く伸び糸のように垂れ下がる。 
 県下でも大きいものの一つである。(2016年8月11日.14日.15日撮影)(文:平成5年 津山地方振興局発行 津山の名木百選より抜粋)

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田邊城のさくら満開時の様子

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お天気に恵まれた4月の清々しい朝、思い立って田邊城へ登ってみました。相変わらずの急こう配ですが、何度かお訪ねするうちにスムースに登れるようになりました。田邊城は岩屋城の属城としての役割を果たして来たお城です。詳しくは2010年の取材記事をご覧ください。前回は、2010年4月29日2015年5月5日にお邪魔しております。(2016年4月16日撮影)

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田邊城址(津山市中北上と宮部下)

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田邊城について(2015年5月5日取材)
 田邊城は今からおよそ430年前に建てられた標高約230メートルにある山城です。
 山中には本丸、堀切、土塁、馬場などの跡が残っています。敵の侵入を防ぎ、見張りの役目を果たしたと考えられています。
 所有者の田邊久吾さんによると、この城は田邊さんの先祖が城主をつとめていたそうです。
 十数年前、田邊さんは城跡に戦死者の碑を建立し、桜の木を植樹されました。毎年春には桜まつりが開かれ、将兵や先祖の霊魂の供養をしています。田邊城址(2010.4月29日取材の様子はこちら)

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岩屋城跡(岡山県指定史跡)

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▲岡山県指定史跡 岩屋城跡

 嘉吉元年(1441)、山名教清が美作国の守護に任ぜられた際に築城されたものと伝えられています。その後、天正17年(1589)8月、野火によって焼け廃城になるまでの148年間、山名、赤松、浦上、尼子、宇喜多、毛利の各氏が、美作国の制覇をかけて激しい攻防を繰り広げられた舞台ともなりました。

 城は岩屋山の山頂に本丸を置き、本丸を中心に三方向に曲輪を配した複雑な梯郭式の山城で、本丸南に馬場、西南には石橋上や椿ヶ峪砦を設け、更に西には小分城を築き防備を固めていました。本丸東には二の丸を置き、その南には三の丸を配しています。東の谷の固めとしては、12本の竪堀を設けています。大手南斜面に見られる大小20箇所以上の防備のための郭は、美作地方では他に類をみないものです。他に井戸、慈悲門寺跡なども残っています。(2011.5.4)津山の文化財より

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