取材記事内検索

取材記事内をタグ「神崎与五郎」で検索した結果,8件の記事が見つかりました。

赤穂浪士(美作国出身)「三士祭」

akou-roushi6.jpg

 赤穂浪士で有名な「全国忠臣蔵サミット」が毎年、忠臣蔵に関係する市町村が持ち回りで開催地となり、津山市も数年前に開催されましたが、その後については地元出身の三士(神崎与五郎則休・茅野和助常成・横川勘平宗利)が津山藩もしくは美作国の出身でありながら何も行事が行われておりません。(忠臣蔵サミットには行政担当者が出席している)
 そこで、ささやかながら命日(旧暦2月4日)新暦では3月1日(木)に顕彰・慰霊祭を挙行することいたしました。
日 時 平成30年3月1日(木)9時から10時
場 所 徳守神社 神崎与五郎歌碑前(津山市宮脇町)
主催者 公益社団法人 津山市観光協会
協 賛 津山お国じまん研究会
後 援 津山市文化協会

赤穂浪士(美作国出身)「三士祭」の続きを読む

赤穂浪士3人の初の慰霊祭「三士祭」2017.3.1

yogorou.jpg

 忠臣蔵で有名な赤穂浪士で美作国にゆかりのある、神崎与五郎則休茅野和助常成・横川勘平宗利のことを忘れてはいけないと「三士祭」(主催:津山市観光協会、協賛:お国じまん研究会、後援:津山市文化協会)が、徳守神社境内の神崎与五郎歌碑前に於いて初めて執り行われました。(撮影:2017年3月1日午前9時~10時)

赤穂浪士3人の初の慰霊祭「三士祭」2017.3.1の続きを読む

愛染寺四国八十八ヶ所霊場お砂踏み

aizenji8.jpg

 2017年4月29日(土)10:00~四国八十八ヶ所霊場お砂踏み(三年に一度)がありました。「お砂踏み」とは、四国遍路ができない人の為に、四国遍路を身近に感じられるようにと八十八ヶ所霊場の砂を踏みながらゆっくりと巡ってお蔭をいただく行事だそうです。また、写経をや写仏を描いたりしながら無心になって心を落ち着くひと時を過ごすそうです。境内にはぼたんの花が美しく咲いていました。(情報提供:愛染寺密教婦人会)

愛染寺四国八十八ヶ所霊場お砂踏みの続きを読む

愛染寺にて「子育て水子地蔵万灯会」がありました。

mizuko18.jpg

2016年8月24日午後7時から、津山市西寺町にある愛染寺にて「子育て水子地蔵万灯会」がありました。当日の夕焼けはとても美しく思わず写真に収められずにはいられないほどでした。また、毎年子ども達が描いた灯ろうに火をともし、檀家の皆さんが多数来られて供養が厳かに行われました。
 愛染寺は、鐘楼門及び仁王堂は、岡山県指定文化財建造物に指定されています。また、大師堂裏に「秋月妙清信女」の墓があります。この墓は神崎与五郎則休の生母の墓で、元禄3年に死没し、与五郎がここに葬りました。与五郎は寛文6年津山 で生まれ、のちに赤穂藩浅野家に出仕、赤穂義士として元禄16年江戸城水野邸で自裁、泉岳寺に眠っています。(2009年9月撮影時の様子)(ぼたん祭りの様子

愛染寺にて「子育て水子地蔵万灯会」がありました。の続きを読む

浅野家と義士の寺 台雲山 花岳寺(かがくじ)

kagakuji2.jpg

花岳寺(かがくじ)は、兵庫県赤穂市加里屋にある曹洞宗の寺院で、歴代赤穂藩主の菩提寺。山号は台雲山(たいうんざん)。
播磨国赤穂藩・浅野家、永井家、森家歴代藩主の菩提寺であり、また、大石良雄の祖先が眠る大石家墓所、義士墓所がある。浅野家、赤穂義士に関する宝物を展示する宝物館、義士木像堂には、大石家代々の持仏・千手観音を祀り、四十七士の木像を安置する。
江戸時代初期の正保2年(1645年)、常陸国笠間藩より転封となった浅野長直公が浅野家菩提寺として創建した。元禄14年(1701年)、浅野長矩公による江戸城松之廊下での吉良義央に対する刃傷事件が起こり、浅野家は改易となった。翌、元禄15年(1702年)赤穂義士による吉良邸討ち入りが起きた。(赤穂事件)その後、赤穂藩には永井家が入り、宝永3年(1706年)には森家が赤穂藩主となり、花岳寺を菩提寺と定めた。赤穂義士37回忌にあたる元文4年(1739年)には境内に有志により義士墓が建立された。ここには遺髪が納められているとされる。また、宝暦2年(1752年)は赤穂義士50回忌にあたり、大石主税と幼な友達であった龍野の藩儒藤江熊陽(ふじえゆうよう)の撰による碑文が刻まれた忠義塚が建立された。明治維新後、赤穂城が解体され塩屋惣門が花岳寺の山門として移築されたとされる。現在山門は、赤穂市文化財に指定されている。(2016年5月5日撮影)

浅野家と義士の寺 台雲山 花岳寺(かがくじ)の続きを読む

忠臣蔵四十七義士・神崎与五郎則安について

kanzakisan800.jpg

脱藩藩士を厳しく批判した「赤城盟伝」を著した赤穂藩随一の酒豪
神崎与五郎則休(1666~1703)
志深浅働次47士中37番目
・酒好きで、ついたあだ名が「燗酒よかろう」(講談)
・短歌を詠み、俳句を作り、江農舎竹平と号す。
・「赤城盟伝」を前原伊助と共に記した。
・吉良邸近くに、前原と共に米屋を開き、探索にあたる。
生年・生国 寛文6年(1666)・美作国
役   職 徒目付、郡目付
行   年 38歳(元禄16年2月4日、切腹)
もと津山森家の家来だった。文武両道に秀でていただけでなく、俳句が得意でいくつか残されている。扇子や小物を売り歩いて吉良邸を探索した。前原宗房とともに「赤城盟伝」を著した。

忠臣蔵四十七義士・神崎与五郎則安についての続きを読む

大石内蔵助邸の長屋門

oishi6.jpg

大石邸長屋門 この門は、浅野家筆頭家老大石内蔵助の一家三代が五十七年にわたり住んでいた大石屋敷の正面門長屋である。門口約二十六・八メートル、奥行 約四・八メー トルの建物で、屋根瓦には双ツ巴の大石家の家紋がついており、元禄の昔に思いを馳せ、内蔵助の偉業を偲ぶ唯一の建物となっている。かっては、内蔵助と主税 の父子が朝夕出入りし、又元禄十四年三月主君の刃傷による江戸の悲報を伝える早打ちがたたいたのもこの門である。
 安政三年(一八五六年)に大修理が行われ、大正十二年国の史跡に指定された。
 更に昭和三十七年に屋根の大修理を行ったが老朽甚だしく、昭和五十二年十一月から国、県及び市の負担により、総工費三、一三八万余円をかけて全面解体修理を行い、昭和五十三年十月末に復元完了した。 赤穂義士会(文:説明板より)

大石内蔵助邸の長屋門の続きを読む

毘沙門天 柴灯大護摩供 愛染寺(西寺町)

aizenji13.jpg

2016年2月7日(日)午前8時30分から津山市西寺町の愛染寺に於いて毘沙門天王初詣が行われました。毘沙門天とは、戦勝祈願や現世利益をもたらす財宝、福徳の神様です。この日は朝から厄除祈願、諸願成就、商売繁盛、進学成就などを祈願する参拝者で賑わいました。本堂での大般若経転読の後、境内で行われた柴灯大護摩供。風もありもくもくと上がる煙を避けながら護摩木が次々と炎の中に投げられました。また、甘酒のお接待や津山鶴丸太鼓の奉納もあってほっこりしました。

毘沙門天 柴灯大護摩供 愛染寺(西寺町)の続きを読む