取材記事内検索

取材記事内をタグ「定番スポット」で検索した結果,61件の記事が見つかりました。

津山城(鶴山公園)の石垣についてその3

その1その2その3その4その5

yagura-thumb-600x450-5602.jpg

津山城を築城した森忠政は信州川中島の海津城から慶長8年(1603)に美作国1円18万6500石を与えられ、美作に入封しました。そして翌慶長9年(1604)に津山城築城を開始したのです。まさに関ヶ原以降の大名の転封、それに伴う新規築城という全国的な大きな流れに乗ったものです。

参考までにこの時期の外様大名による築城例をあげると、加藤清正の熊本城、細川忠興の小倉城、加藤嘉明らの伊予松山城、池田輝正の姫路城、藤堂高虎の伊賀上野城、伊達政宗の仙台城など日本を代表する城があり、津山城もそれらの城と匹敵する規模の城郭でした。さらに、津山城の築城は元和2年(1616)まで続くのですが、これは元和元年の武家諸法度の公布により築城を終了し、一応津山城の「完成」としたものと思われます。(津山城百聞録より抜粋)

2ishigaki5.jpg

▲津山城の石垣。扇の勾配(65度前後が人の目からみて一番美しいといわれている。)

津山城(鶴山公園)の石垣についてその3の続きを読む

津山城(鶴山公園)の石垣についてその1

その1その2その3その4その5

mon.jpg

▲冠木門(公園になった為石段を作ったのですが、本当の姿は左右に防備のための石垣があったらしい)

「建武のころ(1334~1337)、すなわち足利尊氏が室町幕府を開いた頃、美作国の西北条部に鶴山という山があり、別名小篠山とも呼ばれていた。その南に留川(戸川)という清浄な川があった。付近には戸川町や林田町があって、毎月の一日と十五日には戸川の市と呼ばれる市がたち、美作国中の人々が群集を成して集まり、さまざまな商品の売買をした」(森家先代実録より)

ここでいう戸川町は吉井川の河原、あるいは川に面した安定し土地と考えられ、その町場を眼前にして、鶴山の中腹には福聚山妙法寺があり、その門前には門前町があったといわれています。
伝承では、妙法寺は津山城の「柳の檀」にあったとされています。この「柳の檀」というのは三の丸の段を指しており、鉄砲櫓の下の付近に大きな柳の木があったとされています。また、城内の煙硝蔵がった付近、現在の鶴山館が位置するあたりも妙法寺の院内であったと伝えられています。
そして、煙硝蔵の一段上の段には大きな桐の木があったことから「桐の檀」と称され、そこには鶴山八幡宮があったと伝えられています。また、戸川町には、後に城下の総鎮守となる徳守大明神が祭られていました。

慶長9年(1604)春、吉井川と宮川の合流点を見下ろす小高い鶴山を城地と定めた森忠政は、まず「鶴山」の名称を「津山」改めたとといいます。そして、その年の秋には手斧始めとして徳守神社を造営し城下町の総鎮守としました。(津山城百聞録より抜粋)

津山城(鶴山公園)の石垣についてその1の続きを読む

民謡・民舞の祭典「わっしょい!鶴山」

odori01.jpg
▲民謡・民舞の祭典がありました。2010年11月7日(日)津山文化センター野外特設ステージで第25回国民文化祭・おかやま2010 の共催イベントとして「和っしょい!!鶴山」を飾る地元の民謡・民舞愛好団体が特色ある唄と踊りを披露。
(出演:学校法人 美作学園 ・藤間 勘勢雀の会・津山・民謡いなほ会・久米南町観光協会川柳傘踊部会・新宮部音頭保存会・津山さくら会・作州銭太鼓・安来節保存会津山支部・宝扇流市駒会・領家音頭・江与味傘踊り・松嗣の会・勝北だんじこ保存会・勝北民謡の会・風・光・心キッズ連・勝央音頭保存会・幹流  龍恵会・宮坂流子ども銭太鼓 風っ子・作州津山さら山盆地会・西口ひろみの会・津山市城東音頭保存会・美作音頭 中尾四ツ拍子保存会・八峰会・岡山民踊松玉会・笠岡寿会・海野流ひろみ会・みずほ倶楽部和気ふじ組・大原音頭保存会・市舟会・直希連合会・ソーラン鏡野・唄めぐり津山きんちゃい踊り保存会 )


 

第25回国民文化祭・おかやま2010 【岡山・全国の珠玉の民謡が響き渡る。】津山文化センター内
岡山県民謡民舞連盟の総勢300名を超える出演者による「岡山うた」の披露で開幕。従来の古調民謡・民舞に加え、新たに発掘採譜した岡山民謡を披露。
第2部「伝えうた」は全国各地の特色ある民謡・民舞の世界に浸って頂き、第3部のゲストは早坂光枝、小沢千月、澤田勝秋、矢下勇厳、木津茂理。古今東西、珠玉の「極みうた」でした。

民謡・民舞の祭典「わっしょい!鶴山」の続きを読む