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取材記事内をタグ「寺」で検索した結果,214件の記事が見つかりました。

清瀧寺本尊御開帳並びに開創1200年記念法開会

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2017年4月8日・9日、東寺真言宗別格本山 墨池山清瀧寺(津山市河面)本尊「二十七面千手先眼観世音菩薩」33年ぶりの御開帳、並びに開創1200年記念法開会が盛大に執り行われました。当日はあいにくの曇り空でしたが、僧侶の皆さん、檀家の皆さん、多くの稚児さん達も近くの公会堂から本堂までを練り歩きました。また、記念法開の後、午後からは大柴燈護摩法会(火渡り行)がありました。9:00~16:00まで本尊様開扉がなされ、多くの参列者が参拝しました。

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千年寺の石燈篭両基

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 長継山千年寺は、長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した寺です。 現存するものは境内地と風致林、それから長継公五輪墓(津山 市の文化財)を中心に石柵、石窓和尚・関森和尚の碑、仏殿(本堂)・寿光堂の礎石、中の段は鐘楼、井戸、禁葷酒の石柱、山門の礎石、刹竿の双柱の1本、三 箇所の石段、千年寺への道しるべ石柱2本、下に井戸1箇所と南側の山即ち玉几岡に生き仏(開山鐡堂和尚)の墓があります。(撮影2017年4.月12日)(2014年の取材)

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天台宗 寶壽山 多福寺(上横野)

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寺史略伝 (出典・・寺内古文書・苫田郡誌 他)
本尊 地蔵菩薩(木像 坐像 厨子内)  内仏(位牌堂) 薬師如来(木像 坐像)
 清和天皇の御代、貞観2年(西暦860年頃)天台宗の開祖 伝教大師の弟子天台宗第3世座主 慈覚大師円仁が唐より帰朝、巡錫のみぎり美作地方に48ヵ寺を建立された。多福寺はその1つであると伝えられている。
 応永年間(1390年頃)住職覚円は学徳共にすぐれ、寺門おおいに繁栄し山内の数房あり、安養房、林房、竹本坊、大門、総門、鐘撞堂などの地名や呼称の地が存在しているところから、この頃の多福寺の位置は現在の「奥谷」よりまだ奥で、横野の滝近くの地にあり、大寺であったことが想像される。
 寛永年間(1602年頃)丹純和尚の頃更に寺門興隆したと言われている。(撮影2016年6月26日)

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金光山 多聞寺(下横野)

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津山市下横野 多聞寺
 多聞寺は、平安初期(西暦860年)に開祖された毘沙門天をお祭りするお寺で、当初は下高倉の寄松にありました。しかし、中世の山名・赤松の兵乱で兵火にかかり焼失しましたので、香々美の藤屋に避難しました。下横野の現在の地に再興されたのは、それから半世紀あまり経った西暦1500年以降で、盛衰を繰り返しながら今日に至っております。
 一宮大規模農道から下横野を望むと、一面に田園の広がる果ての、小高く白一直線の塀の中に多聞寺は、楼門・庫裏・客殿・本堂が調和よく佇んでいます。背後に中国山脈を控え、青空が広がるスケールの景観は、人々に故郷の安らぎと叙情を偲ばせることでしょう。

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鏡野八景 尊光院 圓通寺

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 高野山真言宗準別格本山尊光院圓通寺は、元総持院と号した。弘法大師帰朝後この美作の地に密教を広めるため、当山を建立したと伝えられる。
古来より西の高野また二ノ宮高野神社の奥の院と称せられたが、永禄年中福田玄蕃盛昌(毛利の武将)桝形城を築き、寺を外衛として軍士の大半を住居させた。よって城陥るに及び寺も全焼す。
時の院主成瑜法印焼趾に草庵をいとなみ法灯を守る。現在別所と称する土地で、広大な敷地跡があり、昭和二十二年「金銅仏」が掘り出された。
三十八世覚清上人檀越を説き、現在地へ再建された。
 津山森氏入封の後、当寺へ対する帰依浅からず寺領百石を寄進されている。四十七世秀範上人の時、再度焼失したが再建され、本堂の棟木に「寛延四年(一七五一)秀範七十二才これを建つ」の文字が見られ、現在の建物は二百四十数年の歴史を有す。
 近世の高僧として知られる竺道契・新弘栄師(両師に付いては岡山県大百科辞典参照)が住した。寺宝・文化財は数十点有する。(文:美作 高野山真言宗八十八ヶ所霊場HPより抜粋)(2016年12月25日撮影)

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江部山 善福寺(大字里公文)旧久米町

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 作陽誌によると、昔、此のあたりに住んでいた肩野部氏の家に強盗が入り、肩野部氏は強盗により深手をおい再起不能となった。そこで、肩野部氏は妻に対して、「自分は命をとりとめることはとうてい出来ない。おまへは未だ歳も若いのだから、自分の死後は、やもめ暮らしをすることなく新しく夫を持って幸福にくらしてくれ。」と申し渡した。之に対して妻の曰く、「あなたが此の様な災難に遭ったのは天命であり、私が若くして夫に別れるのも亦(また)天命です。今後私のとるべき道は只一つ、天命に随(したが)うことで、それ以外に道はありません」と、早速に自分で髪を斬って再婚の意志の無いことを示した。そして夫の死後は尼となり、居宅を捨てて寺とした。善福寺がこれである。(取材2014年9月18日)

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西岩山 寿光寺(西寺町)

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寿光寺の歴史
 綱国と共に津山に来た養母の立長院が、西寺町の景徳寺の盤海という住職の仏典の講義を聞きに通っていた。
この西寺町の景徳寺とは現在の寿光寺のこと。森家のとき、忠政が各地の城造りに引き出されて多忙のため叔父の森可政を津山によんで忠政代理で築城と町造りの指揮に当たらせた。この可政が菩提寺として景徳寺を建てた。同寺の記録では元和元年になっている。その立長院の死により法諱「立長院殿雲嶽寿光大姉」から寿光寺と改名、忠直の「西岩院殿磬誉鉄心大居士」の諱号の西岩院を寺号にした。津山西寺町の西岩山寿光寺は松平忠直の寺でもある。(前回2009年の記事)(情報提供:壽光寺)

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夢中山幻住寺の紅葉がとっても綺麗でした。

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2016年11月16日の夢中山幻住寺の紅葉がとっても綺麗でした。
 2016年11月5日に夢中山幻住寺 道了尊祈願会&紅葉祭りがありましたが、紅葉にはあと少しと思っていたのですが、あっと言う間に9日が過ぎ、参道の紅葉はやや遅めになってしまいましたが、それでも美しく紅葉したもみじが数多く残っていて出迎えてくれました。ここはいつ来ても綺麗な境内で感心するのですが、この日もご住職が落ち葉を一生懸命かき集めておられ納得しました。また、山全体が紅葉していてとっても綺麗でした。

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美咲花山公園の紅葉とシャクナゲの花

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2016年11月16日に美咲花山公園に寄ってみました。花山公園は別名あじさい圓とも呼ばれあじさいが咲くころには大勢のお客さんで賑わうのですが、モミジの木も多いので秋にはもみじの紅葉が綺麗だろうなと思っていましたので夢中山幻住寺の帰り道に寄ってみました。少し遅めでしたけど綺麗なモミジの紅葉に出会いました。びっくりしたのは、シャクナゲの花が満開だったことです。

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夢中山幻住寺 道了尊祈願会&紅葉祭りがありました。

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2016年11月5日に夢中山幻住寺 道了尊祈願会&紅葉祭りがありました。
 昭和42年春、関東随一を誇る特に霊験あらたかなる箱根大雄山最乗寺の道了尊を此の霊地に勧請し奉り交通安全を第一と更に一般民衆のなやみ事をなごめ福利増進の御加護を冀い、交通車輛関係に従事せらるる方と共に一増の信仰を深かめ日々より豊かに希望にみちた生活にいそしみ度いと専心祈願を続けて居る次第で御座います。(文:夢中山幻住寺発行、夢中山道了尊パンフレットより抜粋)

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