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取材記事内をタグ「津山の歴史と文化」で検索した結果,74件の記事が見つかりました。

福井 古い伝承のある福井八幡宮

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福井 古い伝承のある福井八幡宮1(2012年2月12日取材)
 福井八幡宮は、自然の豊かな林に囲まれ、幅広い長い参道やよく整った境内、古い本殿や相応の拝殿の建物を有し、いかにも鎮守の森を思わせる神社である。しかしながら、道路から見えにくい離れた山中にあるため、地域の人以外は、その所在が知られていない。片山・桑田集落の南に広戸川が流れ、対岸に西から東へ川に沿ってなだらかな丘陵をなした山がある。その木立でおおわれている山の中腹に八幡様がある。
 四つ立橋を渡り、福井大崎線から勝間田方面に抜ける道(工門勝央線)に入ると、直ぐに参道の入口があり、尾根つたいに3~400m参道を上ると、神社境内に達する。この道が単に参道ばかりでなく、田熊方面に抜ける山道であったことを物語る道標が、入口に半ば埋もれ今も残されている。
 福井八幡宮の創設は古く、一説に平安時代、広山・田熊八幡と同様に、福井八幡宮は、清瀧寺本尊に対する南部の守護神として創設されたとも言われている。しかし、平安末期、新宮山に位置する新宮城とのかかわりのなかで、創設されたとの説が具体的で実証的である。

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萬福寺(高野本郷)と堀内三郎右衛門

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萬福寺(津山市高野本郷)2012.1.14日取材
本部から「92歳の本当に困っている老祖を助けてあげてほしい。」と言われ、33年前にご夫婦で来られたそうです。「このお寺は旧市内から分寺してここに来られたのだと教えてもらいましたが、このお寺の詳細は分かりません。」とおっしゃっておられました。万福寺では、堀内三郎右衛門のお墓があって、小中学生が授業で見学に来られるそうです。墓には「堀内三郎右衛門 君碑 法学博士 平沼 淑郎(よしろう)」と刻んである。今は檀家の人たちと堀内三郎右衛門一族のお墓を大切にお祀りしておられるそうです。(この他、堀内三郎右衛門の妻光井傳(でん)が元禄13年に奉納した燈籠が高倉神社にあります。また、農民の窮状を救おうと、命をかけて強訴におよんだ指導者8人の霊もいわゆる千人塚で供養回向されている。田中角栄氏が書いた義民の碑も高倉にある。)


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大正・昭和をかけぬけた津山人の面構え

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▲「対鶴楼」での披露宴の様子でしょうか?
「大正・昭和をかけぬけた津山人の面構え」江見写真館蔵品写真展
2010年11月13日(土)~12月5日(日)

大正、昭和時代の津山の写真が多く残っている江見写真館。今回は、それらのアーカイブの中から「顔」をテーマに展示します。貴重な当時の写真から、津山の人々の素晴らしい顔をお楽しみいただけます。
主催:棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館)
入館料=無料(2F常設展は500円となります)

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千年寺のさくら

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▲津山の郊外に千年寺がある。名を長継山千年寺といい、長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した寺です。 今は、桜の木が大きく育って、とても綺麗に整備されていました。現存するものは境内地と風致林、それから長継公五輪墓(津山市の文化財)を中心に石柵、石窓和尚・関森和尚の碑、仏殿(本堂)・寿光堂の礎石、中の段は鐘楼、井戸、禁葷酒の石柱、山門の礎石、刹竿の双柱の1本、三箇所の石段、千年寺への道しるべ石柱2本、下に井戸1箇所と南側の山即ち玉几岡に生き仏(開山鐡堂和尚)の墓があります。 (庫裡を取壊した後、大東亜戦中に疎開して来ておられ、昭和50年千年寺徒弟となった梅本南山翁が昭和61年まで居住)

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