茅野家屋敷跡(かんべえ屋敷跡)(津山市河辺)
⑧茅野家屋敷跡(かんべえ屋敷跡)
赤穂浪士として活躍した、茅野和助常成の父・兄・子孫の屋敷跡。
茅野氏は、元津山城主森家に仕えた人で、浪人として此の地に移り住みました。
和助常成は、播州赤穂城主浅野家に仕え復讐の義挙に加わった。文武両道に通じ、風流の道にも親しんだ人格者であったと言われています。
今は石碑の場所が僅かに残っているだけですが、以前はとても大きな屋敷だったそうです。
⑧茅野家屋敷跡(かんべえ屋敷跡)
赤穂浪士として活躍した、茅野和助常成の父・兄・子孫の屋敷跡。
茅野氏は、元津山城主森家に仕えた人で、浪人として此の地に移り住みました。
和助常成は、播州赤穂城主浅野家に仕え復讐の義挙に加わった。文武両道に通じ、風流の道にも親しんだ人格者であったと言われています。
今は石碑の場所が僅かに残っているだけですが、以前はとても大きな屋敷だったそうです。
サイクリングロードになった鉱山鉄道跡爽やかでした。2014年5月5日取材
サイクリング道は、廃線となった片上鉄道が自転車道として復活したものです。岡山県の備前市から、同県の柵原(やなはら)町までを南北に結んでいた鉱山鉄道跡を整備してサイクリングロードにされたようです。片鉄ロマン街道はとてもよく整備されていて、起伏が緩やかで初心者でも楽に走る事が出来ます。
旧酒造記念館は、1659年(万治2)に神戸・御影の本嘉納家本宅屋敷内に建てられた酒蔵を、昭和35年に現在の地に移築し、酒造記念館として保存・一般開放していたものです。
館内には、国指定・重要有形民俗文化財「灘の酒造用具」や所蔵する小道具類を展示。酒造りの歴史を今日に伝える資料館として、多くの来館者を数えていたそうですが、平成7年1月17日、旧酒造記念館は阪神淡路大震災によって倒壊。不幸中の幸いとして、収蔵の酒造用具や小道具類は、ほとんどが無事、あるいは修復可能な状態。4年後の平成11年1月25日に復興オープンしたそうです。(文:菊正宗記念館HPより抜粋)2014年5月4日取材
作州城東屋敷【無料】 2014.3.16
作州城東屋敷はもともと出雲街道に面した町家の跡地に建ち、明治8年以降教育の場として長く親しまれた地です。真横に復元された火の見櫓が聳え立ち今では城東地区のシンボルになっています。(前回の取材はこちらで!)
県道26号線を通っていると、冬はイルミネーション、春はこいのぼりが泳いでいるのが良く見えますね。そこで、一度登ってみようと思いやってきました。思いのほか景色もよくて風がそよそよと吹いており、眺めも良くて爽快でしたよ。(2014.4.27取材)
2014年5月久しぶりに越畑方面に行って来ました。
たたら記念館では、江戸時代から明治初期にかけて、「たたら製鉄」で栄えた様子を垣間見ることが出来ます。すぐ傍には、茅葺民家もあります。(2014年5月3日取材)
公益財団法人 白鶴美術館 神戸市東灘区住吉山手6-1-1(2014.5.4)
財団法人白鶴美術館は、白鶴酒造七代嘉納治兵衛(鶴翁)が、昭和6年古稀を記念して設立し、昭和9年完成開館した私立美術館の先駆けともいえる美術館です。
鶴翁は奈良の旧家中村家に生まれ、幼少の頃より古都の古美術に親しみ、明治初年、初めての正倉院展が開かれた時にはその手伝いをしていたといいます。その後、縁あって嘉納家の主として迎えられ酒造業に力を注ぎましたが、そのかたわら茶の湯とともに広く美術への造詣を深め、昭和初年頃にはその蒐集品は相当な数に及ぶこととなりました。
2014年3月16日の千光寺のお花たちです。
長継山千年寺は、長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した寺です。 今は、桜の木が大きく育って、とても綺麗に整備されています。(2014年4月6日)
現存するものは境内地と風致林、それから長継公五輪墓(津山市の文化財)を中心に石柵、石窓和尚・関森和尚の碑、仏殿(本堂)・寿光堂の礎石、中の段は鐘楼、井戸、禁葷酒の石柱、山門の礎石、刹竿の双柱の1本、三 箇所の石段、千年寺への道しるべ石柱2本、下に井戸1箇所と南側の山即ち玉几岡に生き仏(開山鐡堂和尚)の墓があります。
(庫裡を取壊した後、大東亜戦中に疎開して来ておられ、昭和50年千年寺徒弟となった梅本南山翁が昭和61年まで居住)※前回の取材に詳しく載っております。
・神を祭祀せば=悪い病いのたたりなくなると言う。(加茂の金刀比羅宮)
・神を祭祀せば=農耕、養蚕、織物を治め一番大切な祖神がある。
・神を祭祀せば=心おちつき事に当たりなしとげらるるという。末社、荒神社は安産の神、稲荷神社に商法の繁昌、木山神社山の神、末社多くの神々を安置す。広く県外からも参拝し祈願者も多い。(2014.4.19取材)