2013 広野地区の文化祭
旧・広野村から近長 (ちかなが)を除いた河面 (こうも)、田熊 (たのくま)、福井 (ふくい)を広野地区と呼んでいます。2013年10月19日(土)広野小学校の体育館で、広野地区文化祭がありました。午後から行くと、イベントは既に終わっていて残念!でも、体育館内では思わず見入ってしまう楽しい作品が並んでいました。大らかな地域性が溢れた文化祭でした。
旧・広野村から近長 (ちかなが)を除いた河面 (こうも)、田熊 (たのくま)、福井 (ふくい)を広野地区と呼んでいます。2013年10月19日(土)広野小学校の体育館で、広野地区文化祭がありました。午後から行くと、イベントは既に終わっていて残念!でも、体育館内では思わず見入ってしまう楽しい作品が並んでいました。大らかな地域性が溢れた文化祭でした。
2013年10月27日徳守神社の秋季例大祭が執り行われました。
津山市で400年以上続く日本三大神輿のひとつといわれている大神輿が、延べ170名の担ぎ手によって市中を巡行。それにお供を加えると総勢300名を超える、総延長500メートルに達する県内随一の大行列です。今年は美作国建国1300年の記念として、県重要有形民俗文化財だんじりを含む総勢21台(展示合せて22台)が祭り会場の奴通りに集結しました。(参考:岡山旅ネット)津山祭りの特集は、こちらです。
2013年10月26日当日の天気は雨で心配しましたが、舞台が始まるころからは雨もほぼ止んでいました。ここは子どもの頃からいつも行っていた場所でもあり、感慨深いものがありました。薪能「田村」 は吉田篤史さんがシテとして出演。田熊回り舞台
主催:ゆきちゃんのぐりーん倶楽部 代表 小島幸子・共催:津山市田熊町内会
平成25年10月18日(金)19日(土)20日(日)の3日間(津山文化センター展示ホール)
岡山県北、美作地域にゆかりのある工芸系作家さん30名以上が集まり、「作った人の顔と名前が分かる物に囲まれたこころ豊かなくらし」をテーマに、この地域にどんな作家さんがいて、どういうものを作っているのか皆様に知って頂こうというイベントでした。陶芸、木工、絵画、和紙、彫刻、生花、漆芸、ガラスなど。また参加作家による器を使用したカフェもオープンして賑やかでした。
文治2年(1186)美作の守護梶原景時が駿河国(静岡県)の浅間神社の分霊を勧請して、新野東村の二本の老松と大栗のあるところに社殿を造営し、二松花栗大明神祭と唱え、祭神木花咲耶姫命を祀ったといわれています。明治6年、二松神社と改称しました。(「美作神社資料」) (文:勝北町誌より抜粋)2012.10.25取材
下野田字西の宮にある。野田上下の氏神であったが、明治五年氏子を分離して以来下野田の氏神となった。大正十三年『下野田誌』によれば、祭神は誉田別命(応神天皇)、相殿は足仲彦尊(仲哀天皇)・息長帯媛尊(神功皇后)・大鶴鷯尊(仁徳天皇)をまつる。
文治3年(1187)、美作の守護であった梶原景時が豊前国(大分県)宇佐八幡宮の分霊を勧請して本社を創建し、広野荘の総氏神としたという。
「東作誌」は野田・福井・田熊・河面の四か村の氏神であるので四社八幡宮としたと称した、と記している。(勝北町誌・歴史めぐり資料より)2012.10.2取材
十寸神社
楢字宮山にある。祭神は天照大神をまつる。当社創建の時代は明らかではなく、古文献等の伝えられたものがない。(歴史めぐり資料より)2012.12.14取材
『勝加茂村史』によれば、祭神は大山咋之命、相殿に伊那諾之命・素戔鳴命をまつっています。建長四年創建と伝えられ、明治二年に、勝加茂西中(現中村)から安井字宇根に遷座しました。明治五年日吉神社と改め、明治六年に東賀茂神社と改称しました。(勝北町誌より)
天平十年(738)美作守大伴兄磨のとき、豊前国(大分県)字佐八幡宮の分霊を勧請し、上宮八幡宮と唱えたという。祭神は品陀和気命(応神天皇)・大雀命(仁徳天皇)・天御中主命の三神をまつり、相殿に足仲彦命(仲哀天皇)・息長帯比売命(神功皇后)をまつる。(美作神社資料)
「金時祭」は金太郎にあやかった元気いっぱいの祭りで、2013年10月12日(土)・13日(日)の2日間にわたり開催されました。
勝央町金時祭は、子どもから高齢者までだれもが楽しめるイベントが盛りだくさん。子どもたちのかわいらしい金時パレードにはじまり、ふる里総踊り(美作の国に伝わる「四ッ拍子」や「勝央音頭」など)や勝央金時太鼓など、見て楽しい、参加して楽しい企画で、郷土料理や特産物を味わえる屋台もありました。また、おかやまファーマーズマーケット ノースヴィレッジでは野外特設ステージ付近で草スキーで遊ぶ子等が微笑ましかったです。