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2023 千年寺の満開のさくら(下田邑)

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2023年3月30日の千年寺の満開のさくら
 長継山千年寺は、長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した寺です。 今は、桜の木が大きく育って、とても綺麗に整備されています。(2009年4月5日取材)(2014年4月6日取材)

 徳川幕府と後水尾法皇は中国よりの渡来僧隠元禅師に帰依され宇治の地(後水尾法皇のご生母中和門院の別荘)を付与し、摂津国麻田藩主(青木氏一万石)を普請奉行として黄檗山万福寺を創建されました。
 美作の国主森長継公(十八万六千五百石)も又隠元禅師に帰依し、領内に教義を具現する長継山千年禅寺の造営を発願されました。それは「泰国安民武運長久」を祈念すると同時に一種の公共事業でもありました。鎌田源太兵衛を普請奉行として農閑期に作業をし手当ては毎日支給をするように・・・又戦乱に備える要害としての機能も持たせています。
 神楽尾の山城を一望に治める千年寺は鶴山城とも連繋されていたのです。千年寺一帯は西に紫竹川が流れ周囲の山を利用して進入路を大門(田邑川東向公会堂)に集結させ龍吟径を通って寺に入るようにし、他は谷の湿田を利用して侵入を防げました。
 寛文八(1668)年十一月七日、長継山千年寺は創建され翌年の春、二月五日開山鉄堂和尚(美濃の出身)が入山致しました。

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醍醐さくら(真庭市)

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2023年3月29日岡山県の天然記念物に指定されている醍醐桜を観に行ってきました。当日は平日にもかかわらず、大勢の方が来られていました。青々とした葉桜の時(2021年6月15日撮影)も素敵でしたが、可愛い小ぶりの花をつけた醍醐桜はあっかんでした。
 「この桜は、ヒガンザクラの一種「アズマヒガン」で、推定樹齢は1000年。根元の周囲9.2㍍、枝の広がりが四方に10㍍伸び、高さは18㍍ある。
「醍醐桜」の名前の由来は、鎌倉末期の元弘の乱により後醍醐天皇が、隠岐に流される途中ここに立ち寄り、美しさを賞せられたとの言い伝えによる。規模・樹齢ともに県下一であり、昭和47年12月9日、岡山県の天然記念物に指定されている。真庭市」

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田中山 大福寺(加茂郷88ヵ所霊場16番札所)

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 当寺は阿波村字大福寺1064番地の円山台地にあり、開基の年代は不詳である。「タタラ」製鉄には、砂鉄の採集、木炭の製造、残砂の整地、製品の運搬などに多くの人力が必要である。
 往時の製鉄関連地名が残っている現在の中土居地区の堤・杣の谷・天王・樋の下・福籠・中山・鉄穴内一帯を中心に「タタラ」職人が集まって大きな集落が形成された。この集落に後年いつのころかに中土居円山台地の上に仏教寺田中山大福寺が建立され、本尊に大日如来が安置されたのである。
 阿波村には、古くは寛延・安永ごろからの念仏供養巡拝碑が多く建立されている。光明真言霊場巡拝による弘法大師信仰は加茂谷にはかなり古い時代から信仰されていたようである。明治時代に入ってから一般に広く信仰されるようになり、特に加茂・阿波の仏教寺院と各地区にある地区堂を中心にして全加茂谷八十八ヵ所霊場、又阿波だけの八十八ヵ所巡拝霊場が設けられてからは特に村内広く民衆のなかに普及信仰されたようである。霊場巡り信仰が盛んになって、大福寺が加茂・阿波八十八ヵ所霊場の一環の中に組み入れられてから、大福寺に弘法大師の石像が本尊大日如来と並んで安置された、
 大正から昭和にかけて巡拝最盛期には、数十人の一行が列をなして霊場を巡拝し、地区の堂・札所では、御詠歌を唱え、般若心経を読んで巡った。日が暮れるとそれぞれ数人ずつに分散し接待の家に宿泊して、加茂と阿波のとの札所を数日かけて巡拝した。特に春秋の彼岸には盛大であった。大福寺に籠り殿が増築されてからは、加茂阿波霊場の中でも重要拠点であった。次第に阿波円山大師堂と呼ばれるようになり、お籠りの信者も多くなり、時には数日、一ヵ月も長くお籠りを続ける信者もあったようで随分賑わったものである。(文:『阿波村誌』より転載)(2022年10月4日取材)

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勝北総合スポーツ公園のツツジ

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 2023年4月8日・14日に津山市西下1100−1にある勝北総合スポーツ公園のツツジを観にやって来ました。毎年のようにツツジが咲くころ、散歩に来るのですが今年も綺麗なツツジが見えました。
 綺麗にお手入れされた山々ですが、長年御世話されていた方が亡くなられてしまい、少し手が回らなそうですが、散歩道を整備してくださっている地区の人達に感謝です。

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瑠璃山 本光寺(東一宮)

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瑠璃山 本光寺案内
 長徳(995)のころより薬師如来を安置して、神徳寺と称す。
 寛文(1661)のはじめ津山藩二代目森長継(ながつぐ)、黄檗(おおばく)の木庵禅師の高弟鉄堂に帰依し本光寺と改名。
 東一宮中村(ちゅうむら)七十五石六升六合、西一宮湯谷(ゆだに)村七十四石九斗二升四合、計百五十石を禄高として復興、森家菩提寺となる。
 元禄十年(1697)、森家改易と共に一時寺領退転となるも、森家の族、播州乃井野の城主、森對馬(もりつしま)守長俊、同備中新見の城主、関備前守長治(せきびぜんのかみながはる)、同赤穂加里屋の城主、森和泉守長直(いずみのかみながなお)等の諸候より茶湯料(ちゃとうりょう)として各高十石宛寄附あり。
 且、松平家津山へ入城の後、その由緒特殊なるを以って、寺格取扱最鄭重にして年々高米寄附あり しかし明治維新に及び諸候の寄付は全く廃絶 戦後の農地改革(昭和22年)、を経て今日に至る。
 境内は天然の砦を成していて、両側の外堀「放生池(ほうじょういけ)」を通って境内に入る。門前に鉾立(ほこたて)石、土塀には銃眼もみられる。また、裏庭は自然をとり入れた「蓬莱(ほうらい)の庭」と呼ばれ造園は衆楽園と同じ長継である。

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カタクリの花(真庭市)

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 2023年3月29日に真庭郡の醍醐桜を訪ねる途中にあるカタクリの群生地に寄ってみました。
カタクリ(片栗)ユリ科 岡山県真庭市佐引に群生地がある。カタクリは、長印形の葉は緑白色で紅紫色の斑紋がある葉間から葉茎を出し、茎頂に4~5㎝の淡紅紫の六弁花を下向きにつけ花びらが反転する。分布:北海道、本州、まれに九州、四国の山地の樹陰に自生/花期:4月~5月(当地は4月上旬~中旬)/効能:滋養湿疹外傷胃腸カタル/薬用部分:鱗茎(片栗粉の原料)/形態:春に地下の鱗茎から二枚葉を出す(自生後7~8年は一枚葉花芽なし)佐引カタクリ保存会(文:現地案内板より)

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2023 尾所(おそ)のさくら満開!

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2023年4月9日満開の尾所のさくら (2022年のさくらの様子)(「尾所の桜」枝の折損の様子
 今年の冬の豪雪で折れた、岡山県指定天然記念物「尾所の桜」ですが、折れた姿を見た時には随分心傷みましたが、春になり元気いっぱい花を咲かせてくれていてほっとしました。
 この尾所のさくらですが、西暦1450年 年号宝徳2年の頃、山伏が倉見越えの途中ここで休み、持っていた杖を残したまま出立ちした その杖が根づいて今の桜の木になったものと伝えられているこの桜の木は、当村大田進氏より阿波村へ寄贈されたものだそうです。

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【津山の人物】植原六郎左衛門

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(上記:『津山の人物Ⅱ』平成3年10月17日津山市文化協会発行より)

 植原六郎左衛門は幕末の津山藩士で海防家・水練家として名高いサムライ。古式泳法神伝流の第十世宗師。嘉永元年(1848)津山藩の水練師役となり、嘉永六年(1853)幕命により出府、同藩士はもとより多くの他藩の士にも教授した。その時代から水戸藩尊攘家の人々と交友を深め、安政四年(1857)勤王儒者藤森弘庵は槇原に会うべく来津してもいる。文久三年(1863)幕府より六郎座衛門に大砲製造の命令が下り、以後そのことにあたるも明治元年(1868)十一月、自邸内にて自決した。享年五十三。(上之町4丁目植原六郎左衛門旧宅跡看板より)

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志呂神社(建部町下神目)

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志呂神社(しろじんじゃ)は、美作国が備前国から分国した和銅6年(713)に弓削庄27ヵ村(現在の建部町、久米南町)の総氏神として祭られたと伝えられています。古くは神主他20名余りが奉仕し、社領70石を有していました。又、神宮寺(じんぐうじ)もあったと伝えられます。本殿は中山造より発展した3間4面(実尺は4間×4間)の総欅造の出向拝を備えた入母屋造妻入です。また、旧県社で祭神に事代主命(ことしろぬしのみこと)を祭っており、各所に彫物を配した近世末期(嘉永元年1848再建)の優れた神社建築です。環境省・岡山県(文:現地案内より)(2023年2月8日撮影)

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毎見山 景光寺(加茂郷88ヶ所霊場第30番札所)

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景光寺
 当寺は山下にあって、毎見山景光寺と号し真言宗醍醐寺三宝院の末寺であり、本尊は不動明王である。嘉永元年(1848)に安楽院法師が開基し、当時は物見にあった。明治18年現在地に移転した。昭和2年には、無住寺となっている。(『苫田郡誌』)(文:『加茂町史本編』より転載)(2022年10月4日撮影)(先達:木元林造さん)

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