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大日如来(津山市川崎字玉琳)

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津山市玉琳 大日如来 牛馬安全
大日如来を牛馬神とする信仰は美作に多い。「大日如来」と刻んだ自然石が路傍に多い。
牛馬の供養塔である。(密教の曼荼羅の中尊の大日如来は牛馬神とは無縁である)
大山の大日堂(現在の大山寺本堂)が牛馬守護の神礼を配布した事情にもとづいている。

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自焼居士(津山市川崎字玉琳)

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天明六丙午三月十四日 釋自焼●● 林田町長兵衛
親營窀穸 託身炎陽 不假天風 火帆自凉 

※釋(浄土真宗で死者の法名の上につける語(淨円寺)
(東作誌)
林田町に長兵衛という独身の律義者がいて、死んだときに他人の世話になるが、こればかしはお礼のしょうがない、ということを気にかけ、70歳をすぎた天明6年(1786)の春、野介代の才ノ谷にあった焼場に自分で薪をもってゆき自殺した。それをあわれんで知る人達でこの碑が立てられたという。

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玉琳と因幡往来(津山市川崎字玉琳)

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玉琳と因幡往来
 玉琳という地名は、およそ四百年前の修験者河内玉琳に由来する。
ここ玉琳は。森家の街道整備によって一里塚が設置された場所であり、また、出雲街道から因幡道が、北に分岐する場所でもあった。
 そのため、幕末の不穏な情勢の中では、元治元年(1864)城下町周辺の要所八ヶ所に設置された番所のひとつが、ここに設けられていた。(2014年6月23日取材)

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出雲街道・因幡往来の分岐点 玉琳の三叉路(津山市川崎字玉琳)

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ここには、信仰に関わる多くの石造物がある。
○回国供養塔《玉琳鎮座の石塔=文化11年(1814)》
回国供養塔は、通称 六部の碑と呼んでいるが、正しくは「全国六十六部廻国供養塔」のことである。世の平穏や民生の安定を願って全国六十余州の有名社寺を行脚して、法華経札を納めて回る編歴の僧侶たちを本来、六十六部と称した。しかし、江戸末期には次第に行脚が大衆化して、村々を回って戸ごとに拝み米や銭のお布施をもらって歩く、遍路姿の巡礼者たちをも総称して六部と言うようになった。彼らは、廻国道中に仲間や村人の協力を得て、往来の多い道筋あたりにこうした供養塔を建立した。
 玉琳の三叉路付近は、人の出入りの盛んなまさに交通の要衝の地であり、近くに日吉神社も在ることから、絶好の位置に鎮座して祀られているといえる。(2014.6.15)

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街道筋に祀る昔ながらの塞の神(津山市玉琳)

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津山市玉琳 文久2年(1862)の地図に道祖神と道路の南側にある。
村境や道路の辻、橋畔、峠などに碑石や祠として祀り、外部から侵入しようとする邪悪な霊や疫病などを遮ったり防ぐ神として信仰された。旅行の安全の神でもあった。
(取材2014.6.15)

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玉琳の地名の元となった玉琳塚(津山市川崎字玉琳)

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玉琳(ギョクリン)院智観(チカン)(修験者)の墓である。町名の玉琳も玉琳院の名にちなむ。河内玉琳は諸国を修業した後に美作を訪れ、戸川の宿に住み、鶴山八幡宮を祈念していました。そして、森忠政が入封して城を築き始めたのですが、異変がたびたび発生したため人びとが恐れをなし、神仏に祈るのですが効果がありません。そこで玉琳のことを思い出す人があって、玉琳が「山神安鎮神明納受の祈念」をしたところ八幡宮の八子の地に遷す旨の神勅がありました。

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2014年9月のイナバ化粧品店

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2014年9月14日(日)イナバ化粧品店にやってきました。店内は連休ともあって沢山の方がおみえでした。この日、岡山県北では沢山のイベントが開催されていますが、津山市でも「第9回津山国際総合音楽祭」が開催されています。(↑写真はイナバ化粧品店さんより)

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