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地蔵院

地蔵院寺誌略伝 ▲愛宕堂(平成20年10月30日津山市重要文化財に指定)
670頃 天智天皇の御代(大化の改新の30年後頃)役の小角(神変大菩薩)の開創。国内鎮火のため愛宕将軍地蔵菩薩を勧請(乾に愛宕山)
850  弘仁年間 天台宗第3世座慈覚大師円仁、唐より帰朝、巡錫のみぎり中興(慈覚大師は当時、美作地方に計48ヶ寺を建立したとされている)
1603 慶長8年森忠政公、津山城築城の際、地蔵院を乾(いぬい)の霊地として尊信、禄米を加増して祭祀の厳修を命ず

1682 天和2年 第3代藩主森長武公、境内に東照大権現堂を建立
1691 元禄4年10月24日 含海住職の時、第4代藩主森長成公、愛宕堂を改築(現存)。また境内に天狗堂山王権現堂、弁天堂などを建立。この頃愛宕山壽延寺と称す。
1725 享保10年4月 別当職を申付けられる。
1739 天文4年10月 賢超住職の時藩主松平長孝公、江戸上野寛永寺中、勧善院より東照宮の神像を迎えて奉祀
1765 明和2年2月 忍鎧住職の時第5代藩主松平康哉公が願主となり境内に御霊屋を建立、徳川家の位牌(家光、綱吉、吉宗他)を祀る。       
1794 寛政6年4月 大賢住職の時、当院を祈願所として正殿を建立不動五大尊慧を安置、鐘楼堂を建て、領内各宗の首席におらしむ。

1814 文化11年8月 賢宗住職の時7代藩主松平斉孝公東照宮殿を改修(現存)総門など多くの堂宇の大改修を行い、結構荘厳な伽藍殿堂が整い、翌年110石を寄進。
1871 明治4年 神仏分離の国策により東照宮は村柱になり地蔵院と土地建物を2分し、東照宮関係のものは松平家の所有となる。   
同年、最後の津山藩主松平慶倫公夫妻の廟を当初に造営、御神体及び松平家の遠祖松平忠直公の御神像を東照宮に配祀される。

1953 昭和28年 津山市大田 松尾山興善寺を地蔵院に合祀合併。表山門、六地蔵などは興善寺から移転されたもの。
1963 昭和38年3月 東照宮の土地建物は松平家から津山市に譲渡され、同所に市立鶴山幼稚園の移転が決まり、東照宮関係の建物などは売却処分されることとなり、種々のいきさつを経て地蔵院が東照宮保存のため譲渡を許可され、同年10月数十メートル南の現在地に曳移転、一部土地交換をして建物の修繕を施し、翌年4月より本堂として使用。

1967 昭和42年6月 津山市が別途保管中の東照宮、忠直公及び慶倫公夫妻の御神体などを旧藩関係者の斡旋により地蔵院に引き継ぎ、同年7月管内有縁の宮司及び旧藩関係者有志の発起により愛山東照宮奉賛会が結成され久しく途絶えていた祭典が神仏合同で行われることになり、現在も続けられている。


2009.7.15取材

▲面白い形です。

▲ほうき草

▲境内のみかんがたわわに実っています。

▲本来の山門(現南門)


▲寺紋の三葉葵瓦

▲昭和55年頃の航空写真

▲門柱右「愛山 東照宮」、左「天台宗 地蔵院」と書いてあります。

▲六地蔵

▲表参道

▲表山門、六地蔵などは興善寺から移転されたもの。(二層の門)


▲愛宕堂 愛宕勝(将)軍地蔵のほか津山藩西御殿にまつられていた仏像仏具などが奉祀されている。

▲地蔵院と愛山東照宮のいわれ

▲位牌堂(阿弥陀堂)

▲境内

▲客殿

田岡嶺雲が津中の教師として津山に来た当時、この地蔵院の「はなれ屋」に下宿していた。当時は無住であった。津中に近く、ここを借りたらしい。

▲梵鐘 

地蔵院の釣鐘は江戸期の「津山八景」の一つとして有名であったが戦争中供出。昭和32年新造(百貫目)


▲竹内流武道宗家の献額も三面ある。

▲竹内流武道宗家の献額


▲1814 文化11年のものと思われる東照宮本殿の棟瓦。

地蔵院の寺紋です。


愛宕堂
元禄4年(1691)に建立したのが現代のもの、この愛宕堂に勝軍地蔵がまつられている。五大明王もここに祀られている。

愛宕勝軍地蔵

八子の愛宕山地蔵院の愛宕勝軍地蔵

お地蔵さんぐらい親しまれている「仏さまはあるまい。代受苦(だいじゅく)といって、あらゆる悩み苦しみを救って下さる、というのがそのもとであろう。

地蔵院は読んで字の如くだが、愛宕将軍地蔵は石のお地蔵さんとは違う。都の守護もあって甲冑姿である。この地蔵院の入口に石の六体地蔵がある。これは市内大田の興善寺のものをここに移したという。このように多くの寺院を合祀したのは、一つには敷地も広かった。地盤は岩石で西側の谷から見上げると、山であることがよくわかる。昔は八子坂まんじゅうという名物もあったと懐かしがった人もいる。

▲1814 文化11年のものと思われる東照宮本殿の棟瓦

地蔵院の特殊性は、愛宕勝(将)軍地蔵、もと正殿にあった五大明王尊、つまり不動明王を中心に、降三世明王、軍茶利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王と、宕々庵にあった聖天仏が愛宕堂に祀られ、元の東照宮本殿内には徳川家康、松平忠直両遠祖の神像と五社の仏像が祀られている。まことに多彩で珍しいところ。

▲地蔵院本堂(右本殿、左拝殿)

▲江戸期「津山八景」

宇那提森夜雨、管縄平晴嵐、久米更山秋月、院庄落雁、地蔵院晩鐘、黒沢山暮雪、宮川夕照、矢出帰帆

文政10年、宮山 山本鬼角 選


毎年、6月1日には、僧侶3名、神主3名、愛山東照宮奉賛会で神仏合同の追恩会を行っている。


▲旧東照宮本殿(平成21年3月26日津山市重要文化財指定)

▲拝殿から本殿を望む(社殿は地蔵院の本堂として使用されている)

 昭和42年の東照宮奉賛会結成時(日付けを見ると9月8日)から、毎年6月1日の祭典の時に撮影された記念写真が掲示されている。

転変を余儀なくされた東照宮が、このような形で存続していることは、驚きであると同時にまた感激でもあった。恐らく、全国に奉齋された東照宮の中で、津山のように、元の別当寺によって今日なお祭祀が存続されていると言う例は、極めて珍しいものと言えよう。更に、同一の建物が、寺院・神社として機能していることも特筆すべきことであろう。

(平成3年6月1日発行:全国東照宮連合会会報より)

神宮寺5つを合祀

今日ではほとんど忘れられているが、神仏分離のとき、神社と一体で存在していた神宮寺がみな分離され、再編成が行われた。八子八幡宮の本地仏、阿弥陀如来(正宝山威徳寺)、総社宮の毘沙門天王(檀上山神宮寺)、一宮の中山神社の文珠菩薩(霊谷山真応寺)、徳守神社の不動明王(医王山清閑寺)、二宮の高野神社の普賢菩薩(普賢山神宮寺)の本地仏がみなこの地蔵院に遷座合祀された。その御仏像が今もここでご健在である。


年中行事

◇正月2日・3日(10時・1時)

初詣・正月修正会(大般若転読)

◇3月(彼岸中日)(10時)

彼岸法要(祖師講)

先祖供養・戦没者慰霊祭

◇6月1日(1時)

愛山東照宮祭典(神仏合同)

◇8月1日〜15日

盆行(棚経)

◇8月19日(10時)

施餓鬼(せがき)法要

◇9月(彼岸結願日)(2時)

彼岸法要(祖師講)

先祖供養

◇12月中旬日頃〜

家浄・各家回向

◇12月31日(午後11時半〜)除夜の鐘


▲東照宮の正面

▲東照宮正面扉

▲東照宮の腰板は立派なケヤキ

▲東照宮のケヤキが美しい


▲徳川将軍家3代(家光)、5代、8代等6柱の位牌

▲棟札

(平成21年3月26日津山市重要文化財指定)

▲棟札(平成21年3月26日津山市重要文化財指定)

▲地蔵院本堂(旧東照宮社殿)

▲神仏一体でお祭りしている寺は珍しいそうです。

▲地蔵院住職専用の駕籠(駕籠での登城が許されていた)

▲津山城にあったと言われている竹の絵のかかれた板戸。

▲反対側には鷺の絵が描かれている。

▲修道館(津山藩学門所)の扁額

▲棟札(平成21年3月26日津山市重要文化財指定)

天台宗 愛宕山 地蔵院


愛宕神社
愛宕神社というのは小さな集落の中にもよくある。
その本社は有名な京都の愛宕山の愛宕神社である。
簡単に紹介すると、京の愛宕山は御所から「いぬいの方向」にそびえている920Mの山だ。ここに火伏(ひぶせ)の神の愛宕神社がある。古くは丹波国の阿当護神で、雷神として信仰されていた。それが京に都が置かれるようになって、こんどはミヤコの護りに、京都側の神社になった。この山は丹波と山城の国境いにある。
空海が真言密教の行場にした時期もあったが、伯耆大山の地蔵信仰が移され道場にかわった。
京都の守護というので、甲冑をつけた将軍地蔵になった。しかし、ここも明治の神仏分離で神社が残り、地蔵は町におろされた。京都の地蔵盆のにぎわいも、原流はこの愛宕信仰にあるという。

現在の愛宕神社はもとの雷神からの火伏信仰の源流にかえり、相変わらず庶民信仰を集めている。

※津山の愛宕山も津山城から「いぬいの方向」にそびえている。


愛宕廟 津山藩最後の藩主松平慶倫公夫妻の墓所