愛山松平家墓所
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(2009.7.14) | ||||
愛山松平家墓所 (昭和48年10月20日津山市指定史跡) この墓所は、明治4年(1871)に没した最後の津山藩主松平慶倫を神式で埋葬した所である。正面の唐門をくぐって敷地に入ると鳥居があり、灯籠が立ち並ぶ参道の奥に墓碑が建つ。側には夫人の爪髪も葬られている。鳥居脇には旧藩士の大村斐夫撰による「故津山藩知事正四位慎由源公神道碑」がある。墓所名に冠せられている「愛山」は周辺一帯の呼称にちなむものである。 |
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▲ ▲旧藩士の大村斐夫撰による「故津山藩知事正四位慎由源公神道碑」 ▲愛山廟門の横にある ▲谷崎潤一郎の記念碑 ▲だんじり倉庫横には、バナナの実がなっています。 「愛山」というのは愛宕山の中の字「宕」を抜いたもの。藩主が東照宮参拝の折、休憩所として建てたものを「宕々庵」と名付けた。もとの東照宮はいま地蔵院の本堂になっているが、建物は昔のまま。旧松平藩関係者が協力して残したともいえる。それが愛山東照宮奉賛会となって今日も毎年6月1日に神仏合同の追恩会を行っている。 ▲1814 文化11年のものと思われる東照宮本殿の棟瓦。 地蔵院の寺紋です。 |
▲愛山廟内側より 家康の二百回忌を契機に松平斉孝が造営したもの ▲津山松平家九代、慶倫公夫妻の墓所、愛山廟の門はもと東照宮の唐門であった。 ▲内側から見る 愛山東照宮はなくなったが、いまの鶴山幼稚園のところに拝殿と本殿があり、地蔵院にひき移転した。
苫田小学校にあったもの。 (資料:地蔵院より提供) |
▲松平慶倫公の墓の前の鳥居 愛山廟には士族一同奉献の石灯籠など、時期が廃藩置県当時だけに、士族の心境をのぞかせるものが珍しい。 ▲津山藩主松平慶倫公の墓 ▲松平慶倫公夫人の墓 ▲宕々庵(愛山廟前) 藩主参拝時の休憩所で弁天池の配置の立派な「宕々庵」という建物があった。戦争中は文豪谷崎潤一郎が疎開生活し「細雪」をここで執筆。 (現在だんじり倉庫となっている) |