大隅神社

大隅神社 神輿と学校

▲大隅神社の門は、もと津山城内にあった門で、明治8年、津山城を取り壊した際に移築し、大隅神社の神門として使用されるようになったものです。
  従って普通に設計された門とは異なり、用材は太く工法も粗野ですが、津山城の遺構のひとつとして珍しいものです。
  構造は、門の幅3.93m、側面の幅2.24mで、屋根は切妻造、本瓦葺です道路の高さは乗馬で通行できる程の高さで、城門として使用されていた事がうかがわれます。建築様式としては、薬医門様式と呼ばれるもので、主柱2本(角柱)と控柱(角柱)2本で切妻屋根を支え、屋根の重心は本柱に寄りかかっている様式であります。(2008年取材)


森忠正公が津山城の鬼門の守護神とて崇敬された。

▲唐獅子(向かって左)

▲唐獅子(向かって右)

▲末社(荒神社)

▲末社(八幡社他)

▲末社(稲荷神社)

▲末社(厳島神社)

▲大隅神社

▲文化財指定の看板

▲大隅神社の階段には多くの著名人の名前が刻んでありました。

▲大隅神社階段

▲大隅神社拝殿は昭和に建て替えられた。

▲大隅神社の本殿

▲手水舎(元禄初期のもの)

▲昔は吉井川が氾濫して、ここまで川の水が溢れてきたようで、この灯篭に高瀬舟を繋いでいたと言われているそうです。

▲大隅神社の門は津山城内にあったもので格式があり重そうです。

▲大隅神社右側面