神楽尾城跡

▲頂上の景色(取材2009.6.6)

神楽尾城の概要
神楽尾城の地理的・政治的条件
  神楽尾城は、東西約20㎞、南北約10㎞に広がる津山盆地のほぼ中央に位置する神楽尾山(標高308m・二等三角点)に築かれた中世の山城です。
  要塞堅固に築かれた本丸跡からは360度の眺望がきき、盆地内や周囲の山々や津山市街地が一望できます。まさに「四周展望の城」です。このように神楽尾城は地理的条件に恵まれ、しかも大規模で優れた構造を有しており美作有数の中世山城といえるでしょう。また、この城は、美作国府が置かれた時、国府の背後に当たり、美作国府軍団の根拠地であったのではないかかという説もあり、古くから政治的にも軍事的にも重要な存在であったと考えられます。

▲沼から観た冬景色

▲スキーのストックが杖です。

▲子どもの頃食べました。

▲土橋道案内

▲神楽尾公園看板

▲出発です。

▲なんです?この石

▲ここには親切に杖?(スキーのストック)があります。とても助かりました。

▲二の丸案内

▲土橋

▲こんな道です。

途中小原ルートと合流します。

▲やまゆり

神楽尾城の主な歴史
  鎌倉時代には、宇都宮教貞が神楽尾山系の「平家が城」に在城したと伝えられています。南北朝争乱期からは「太平記」の記述にもあるように、山名氏(山陰)と赤松氏(播磨)が美作を繰り返し支配しました。その都度、神楽尾城の攻坊が行なわれたこと等が「作陽誌」にも記されています。
  戦国時代になり、尼子経久が美作に侵入した時は、山名右京太夫氏兼が神楽尾城の城主となっていました。そして、永禄9年(1566)毛利元就が山陰の雄、尼子義久を滅ぼし、美作も毛利氏(安芸)が支配するようになりました。
  その後、織田信長の武将、羽柴秀吉の中国攻めに従った宇喜多氏と毛利氏の勢力が一挙に激突することになると、神楽尾城は毛利氏の重要な拠点のひとつとなりました。その頃、神楽尾城には、大蔵甚兵衛尚清と千場三郎左衛門が居城していました。
  備前の宇喜多直家は美作での拠点として、吉井川を隔てた南側の荒神山に城を築き、その武将、花房助兵衛職秀を置いて毛利方の諸城に対抗させました。
  神楽尾城側は、天正7年(1579)織田方になった宇喜多氏の対して花房氏の荒神山城の攻撃を計画しました。ところが、この計画は花房職秀側の密偵に事前に察知されていました。夜襲を決行した神楽尾側は敗北し、逆に荒神山城の伏兵の攻撃によって城に火を放たれ遂に神楽尾城は落城しました。  
  その後、天正10年(1582)の備中高松城の落城を経て、天正12年(1584)には美作から毛利氏の勢力が退去し、名実ともに美作は宇喜多氏の支配するところとなりました。

神楽尾城にまつわる話


▲やまゆりが咲いていますが、皆さん採らないで!と書いてあります。


神楽尾山妖怪降伏の事
  天正6年(1578)11月、神楽尾城に妖怪が現れ、皆恐れおののき逃げ惑うありさまでした。そこで、下田邑の泉水寺の法仏という名の法印が、城内で蟇目の秘法を行い妖怪を退治したという伝承があります。 
※法印・・・僧侶の位の一つ


神楽尾城の悲話
  毛利氏の武将で神楽尾城の城主であった大蔵甚兵衛尚清と副将千場三郎左衛門との間で意見の食い違いが生じ、大蔵が家臣の土居四郎次郎に命じて、千場三郎左 衛門を切らせました。その後に、千場三郎左衛門の霊魂がさまよっているというお話もあります。(文:神楽尾城跡保存協力会発行 太平記に載る中世山城 神 楽尾城跡より)

▲途中の景色も綺麗です。

神楽尾城にまつわる話
  昔、田邑の里に徳万という人がいました。この人は熊野三所権現(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三社の主祭神)を信じ十数回にわたって紀州熊野に参りました。
  ある夜、夢の中に一人の老人が現れ神剣を授けていうには、「汝が何年も願っていたことを神が聞き入れて下さった。汝も歳をとった。もう熊野に参らなくとも よい。美作の国に帰って、今授けた神剣を祀りなさい。この山で祀るのと同じである。」と言って、老人は姿を消しました。
  徳万は、夢が覚め空を見上げると異様な光が見えました。その光は剣の様で、西北を射ていました。(西北は美作の国)。
  徳万は、老人の言われたことに大いに感じいって、美作の国に帰って故郷の山の上に祠を建て、霊光の形から天剣大明神と称し、その社を「天剣神社」と名付けて祀りました。その後、大明神の霊験が度々現れるようになりました。 
  夜毎に、この神殿で神楽の音が響きわたります。「はて、不思議なことがあるもんじゃ」と神殿に行って探しても演ずる人はいません。これは諸神が集って神楽を演じているのであろうと村人たちは思い、この山を「神楽尾山」と名付けました。 
  元弘・建武(鎌倉末期~南北朝期)の頃、武将がしばしばこの山を慕って来て城を築き、天剣大明神のお加護を授かっての、戦勝をこの社に祈願したということです。

▲本丸近くまでやってきました。

▲馬場の案内

▲三の丸の案内

▲三の丸でわらびが沢山あったので、急遽ワラビ採り。

▲三の丸から観る

▲イスが置いてあります。

ここから本丸へ

▲だんだん下り坂になります。

▲ここには井戸があったそうです。

▲案内板

▲展望

▲本丸跡

▲記念に記帳してきました。

▲わらびが沢山あります。

▲記念の地図全体

▲地図

▲三等三角点

途中出会った年輩の方に「何度来られたのですか?」とお聞きすると、160回目だそうです。また、若い方にお聞きすると「初めてですが、癖になりそうです」とおっしゃっておられました。記帳されたのを見ると、皆さん朝5時頃から登られているようですね。

健康にはとても良いと思います。友人とまた来ようと約束しました。