安来市加納美術館(島根県安来市)

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 2023年10月13日津山市文化協会会員ミューズの会の有志で安来市加納美術館に行ってきました。
時折小雨が降る中、また山奥ではありましたが立派な美術館で、一同大変感激致しました。改めて美術と平和について教えて頂き、いままで知らなかったという事がなんだか恥ずかしい気持ちと、知って得した気持ちと入り混じりながら帰ってきました。


安来市加納美術館について(島根県安来市広瀬町布部345-27)
 当館は、恒久平和を願い続けた画家加納莞蕾(かんらい)(1904~1977年)の思想や行動を伝えたいと願って、莞蕾の長男加納溥基(ひろき)が私費を投じて建設し、その後安来市に寄贈されて安来市加納美術館となりました。
 若い頃、岡田三郎助に学んだ莞蕾は、主に独立美術展で作品を発表しました。戦後はフィリピンの刑務所に収容されていた日本人戦犯の釈放に尽力し、さらに「世界児童憲章」の制定を訴え続けました。
 当館は莞蕾の絵画や書および平和運動の資料を収蔵しています。また、加納溥基が蒐集した古備前や備前焼の名品、茶の湯の名椀、小野竹喬、池田遙邨の日本画および安来ゆかりの作家の作品を所蔵しています。
 そして、加納莞蕾の平和への思いを美術館の基本理念とし、地域文化の発展を願って様々な企画展を開催しています。(全文:安来市加納美術館展示案内より転載)(撮影:2023年10月13日・2024年2月26日)

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 近時、当館の最も大事な使命として、戦後加納莞蕾がフィリピン日本人戦犯釈放運動から得た大きな教訓「赦し難きを赦す」というキリノ大統領の平和への思いを、当館の活動指針として設定して事業運営をいたしております。恒久平和を希求する美術館として邁進していきたいと思っております。

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キリノ大統領と握手する莞蕾

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キリノ大統領声明
 私はフィリピンに服役中の日本人戦犯にフィリピン国会の賛同を必要とする大赦ではない赦免を及ぼした。
 私は妻と三人の子供とその他五人の家族を日本人に殺されたため、彼等を赦そうとはよもや思ってもみなかった。私は私の子供や国民が、やがてはわが国の恒久の利益の友となるかもしれない国民に、私から憎悪を受けつがしめないことを欲するが故に、これを行なうのである。結局、運命が私達を隣人となさしめた。
 フィリピン大統領エルビディディオ・キリノは、1953年(昭和28年)7月6日モンテンルパにあるニュービリビット刑務所に服役していた日本人戦犯105名(うち死刑囚59名)の釈放または減刑を通告した。入院していたアメリカ、メリーランドのボルチモアにあるジョン・ホプキンス病院の病床からとマニラの大統領府からと、同時に世界に公表されたステートメントである。

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加納莞蕾の四女で(公財)加納美術振興財団 常務理事 加納 佳世子名誉館長に案内をして頂きました。

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莞蕾の嘆願書はガリ版で作成           従軍歌集 山西前戦

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今、美術館は学校や地域の平和学習の場にもなっています。

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加納莞蕾の作品と平和への活動の軌跡

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加納莞蕾 薔薇 1970年            安来市加納美術館
                       (公財)加納美術振興財団理事長 加納 二郎氏

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加納莞蕾 「紫陽花」1953年              「黒牡丹」 1970年

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安来市加納美術館創設者 加納溥基氏       この先に「別館 莞蕾館」があります。 

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莞蕾館内の展示風景


(企画展)四國五郎展(2023.8.5~2023.10.15)

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 広島県出身の画家・詩人の四國五郎(1924-2014)は、広島の原爆を題材にした絵本『おこりじぞう』で、よく知られています。先の大戦で満州に出征した四國五郎は、終戦後ソ連の捕虜となり、シベリアに抑留されました。

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 帰国した四國を待っていたのは、変わり果てた広島の姿と弟の原爆死でした。これらの過酷な体験が四國五郎を突き動かし、戦後一貫して平和のために、絵や詩を作り続けました。

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 安来市加納美術館では、シベリア抑留体験を描いた絵画、戦後の広島で平和を祈って市街に掲示した辻詩、絵本『おこりじぞう』の原画をはじめとする四國五郎の作品を展示します。四國五郎が求め続けた戦争のない平和な社会への思いをともに感じていただければ幸いです。

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四國五郎展

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四國五郎展 「辻詩」

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四國五郎展「新しい辻詩」


(企画展)収蔵品カタログ2(2024.1.11~2024.3.10)
 美術館設立の動機は溥基の父であり画家であった加納辰夫(雅号 莞蕾(かんらい))の作品を収蔵したいとの思いと、戦後莞蕾がフィリピン日本人戦犯助命嘆願活動を起こし、6代フィリピン大統領エルピディオ・キリノ大統領ほかに送った300通に及ぶ嘆願書の往復書簡の控えを保存したいとの思いからです。また、同時に広瀬出身の芸術家から寄贈された作品を収蔵してほしいとの強い要請を受けてのこともありました。
 しかし、これだけの作品ではこのような山奥に人は来てくれないだろうと思い、新たに彼の趣味でもあった茶の湯、陶芸の作品を集めることにしました。特に岡山で会社を経営していたので、備前焼、および全国の茶陶に関する作品を集中して集めました。

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「日本画 小野竹喬 はれのくに」より
 現代日本画家として著名な小野竹喬は、岡山県笠岡市の出身です。画家としての活動は京都で行いましたが、その感性をはぐくんだのは、陽光穏やかな瀬戸内の気候だったのではないでしょうか。空や雲の表現、明るい色彩が小野竹喬の特長といえます。本展では、小野竹喬の特長がおおいに現れた作品を選んで展示しています。(文:展示案内より)

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「日本画 小野竹喬 はれのくに」より

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「陶芸 備前焼 金重陶陽の世界」より
備前焼は、加納美術館の所蔵品の主軸です。また、金重陶陽(人間国宝=重要無形文化財保持者)の作品の所蔵数では日本随一といってよいほどです。当館では、陶陽の多様な作品とともに、陶陽が自らの創作の源泉とした桃山備前(古備前)の茶器とともに展示します。(文:展示案内より)

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備前焼『麒麟香炉』金重陶陽 作(人間国宝)   備前焼『水指』金重陶陽 作(人間国宝)

(文・写真:安来市加納美術館許可済み)