金森山 新善光寺
▲一遍上人巡錫の地(2009.4.12取材) 高野山真言宗 新善光寺は山号を金森山と称し、天長八年(831)弘法大師によって開基され、本尊は阿弥陀如来である。鎌倉時代の遊行聖で時宗の開祖一遍上人(1238〜1289)の遍歴の生涯を描いた絵巻物「一遍聖絵」(国宝・京都歓喜光寺蔵1299完成)の中の、第八美作一宮中山神社の絵巻の詞書の一節に「それ(註・一の宮)をたちて、かなもりと申所におはしたりけるに・・・」と記されており「かなもり」とは金森山を指すものであると古くから伝えられている。 一切を捨てて一生を旅のうちにあって念仏の教えを説いた一遍上人が弘安九年(1286)美作一宮から当山にきて滞在したのである。 |
||||
▲1本の木にピンクや赤の椿の花が咲いていました。 ▲入り口にある道標 茶屋林道標 津山市指定重要文化財(建造物) 幅18cm高さ約80cmの小さな石柱で、頭頂部はかまぼこ形に仕上げられています。 ▲塔 ▲裏庭 ▲近くにある工門道標 津山市指定重要文化財(建造物) 小さな道標で、国道53号線から勝北公民館に入る道路の角に立っています。この道標はもと新野西村(西下村)にあったもので、道路の整備にともないこの地に移されてきたものです。幅18cm高さ約80cmの石柱で、表に、「距津山元標三里 右側面に 明治五年九月検査」左側面に「勝北郡新野西村字中野」と刻まれています。 ※文章は「津山市の文化財」より抜粋したものも含まれております。 |
▲本堂 ▲本堂の見事な彫りは森忠政公のお抱え彫り師小林定一が彫ったものと伝えられています。 ▲御咏歌 ▲弁財天 ▲本堂前より ▲庭の木 ▲「明星水」と呼ばれる水の湧き出た井戸の遺蹟 寛永3年(1,626年)中秋の候、津山藩主、森忠政公が京都に於いて重病に臥し、医薬を用いるもその験なき時、新善光寺の本尊阿弥陀如来が夢に現れ、この明星水を与えられ病が平癒したと伝えられている。(新善光寺より) ▲本堂全景 ▲88ヶ所ミニ霊場 ▲入り口の六地蔵 金森山 新善光寺 津山市中村393 |
▲山門 ▲さるすべりの木 津山市指定記念物(天然記念物) 一遍上人伝承の地に建つ新善光寺境内の大師堂裏手に南北に並んで2本あります。 北株は根元周囲1.65m、樹高10mで、推定樹齢は130年です。南株は根元2.1m、樹高10mで、同じく推定樹齢130年です。 ▲大師堂 ▲庭 ▲客殿 ▲回廊を挟んで表側の池 ▲回廊を挟んで裏側の池 本堂回廊裏の泉水の辺は、往古、弘法大師が明星を発見された処とされているが、此処にはそれに因んで、「明星水」と呼ばれる水の湧き出た井戸の遺蹟が今も残っており、霊薬として世評の高いものであった。(新善光寺より) ▲回廊 ▲新善光寺の駐車場の八重桜 |
||
高野山真言宗 金森山新善光寺誌(新善光寺より) 森公は、嘗て信濃国川中島を領知したことから、信濃善光寺への尊崇深く、爾来いよいよ新善光寺への信仰を厚くされ、田園50石の香花料を寄進したとされている。 |