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沼の住居跡・弥生の里

▲津山弥生の里文化財センター(2009.1.12)(つつじは2008.4.22)

弥生時代と津山

大陸から九州北部に米づくりが伝わってきたのは、今から2500年ほど前といわれています。以後稲作は、短い間に列島各地に広がっていったようです。お米づくりを始めるまでは、人々は食料を自然の幸にたよっていたため、生活は常に不安定なものでした。しかし、いったん稲作農業を始めると、土地に定着した生活がおくれるようになり、しだいに人口は増えていきました。

お米づくりを始めた頃からしだいに有力者が各地にあらわれ、豪族として成長していきました。この豪族の象徴である古墳が作られる時期(1700年ほど前)までを、考古学では弥生時代といっています。

1F展示室1 おおむかしの米づくり ―弥生時代ー

▲案内

▲陶棺

▲階段上がり口の須恵器

▲床にある

▲服装


採集・狩猟・家づくり
狩猟用の弓矢、伐採用の石斧などの使用方法を復元。伐採された木材は住居づくりなどに使用される。

水田復元

岡山市百間川遺跡で発見された弥生時代水田跡にみられる田植え跡をもとに水田を復元。

家の中のくらし

住居内では男の仕事(石器つくり)と女の仕事(土器つくり)などを対比して復元。

▲弥生の里文化財センター

▲文化財センターロビー

▲男の仕事(石器つくり)

▲弥生土器

土器にはそれぞれ用途がある。市内出土弥生土器の壺・甕・高杯・器台など実物を多数展示。

▲沼遺跡

沼遺跡の復元模型(縮尺75分の1)。出土土器や石器を展示。

▲米をつく・炊く

収穫された米を臼でつき、発火具で火をおこし煮炊きする様子を復元。

この弥生人は、水稲耕作を基本としていただけではなく、すでに金属器も用い、また布も織り上げていました。これら三要素は、現在のわれわれにとっても基本的な技術であることから、現代生活は弥生時代から始まったともいえます。

津山盆地は初期農民にとって非常に条件がよかったようで、盆地内の各所で弥生時代の遺跡が発見されています。しかし、その大半は弥生時代中頃以降のもので、古い遺跡はきわめてまれです。 また古い遺跡も、小規模なものがほとんどという特徴があります。

瀬戸内の海岸平野と比べると、津山盆地ではお米つくりが定着するまでに長い時間がかかったこともわかります。おそらく、津山盆地のあちこちで人影が多く見られるようになったのは、やっと弥生時代の中頃のことだったのでしょう。

▲弥生機・衣

女性が行なう機織り。織られた貫頭衣や弥生機も復元展示。

▲水田使用農具の復元。

▲稲刈り

稲刈り風景のジオラマをバックに、女性が穂摘具を使用した稲刈りの様子。

▲道具類と使用説明

1F 展示室2 おじいさんのころの米づくり ―明治・大正・昭和時代ー

▲作州絣

▲家の中のくらし

住居内では男の仕事(石器つくり)と女の仕事(土器つくり)などを対比して復元。


津山弥生の里文化財センター

業務内容

・埋蔵文化財及び民俗文化財の調査・研究・展示並びに公開

・埋蔵文化財、民俗文化財の愛護思想の普及啓発


所在地

岡山県津山市沼600-1

TEL(0868) 24-8413 

FAX(0868) 24-8414
yayoisat@mx1.tvt.ne.jp


開館日・開館時間

展示室公開時間/

午前9:00〜午後5:00(展示室入室は午後4:30まで)

展示室非公開日/

毎週月曜日、祝日の翌日、年末年始

入館料 無料

▲機織と作州絣

▲米づくり

米づくりに使用する農具等を作業順に展示。米づくりの様子もイラスト入りで展示。

▲まつり・しきたり

津山を中心とした美作地方のまつり・しきたりを季節順に解説。

▲農家のくらし

農家の内部をとおり展示室へと向かう導入部分。内部には座敷・土間などを忠実に復元。調度品も配置。

▲ひとの一生を階段状に表現し、その時折の民具や慣習を展示解説。

▲水車

足踏み水車の使用状況を復元。水車小屋内部も電動式模型で復元。

▲米づくり

▲牛小屋

牛は餌代もかからず力仕事を支え、糞は貴重な肥料まで生み出す役畜だったので、農家では牛を敬い家族の一員として主人の次に位置づけていました。「牛に餌を与えてから自分たちが食事を始めた」とは、よく耳にする言い伝えとなっています。

2F 農家のくらし

▲雛人形

▲階段たんす

▲鏡

▲とうふかご

▲農器具

▲紙すき

▲蒸し器・セイロ

▲絵で観る歴史

▲風呂

▲卓上ミシンとアイロン

▲じゃがいも洗い機

▲洗濯板

▲沼の住居跡2009.1.12(↑つつじの頃2008.4.22)

▲看板


竪穴住居の中央部にはイロリがあり、そのイロリを囲んで家族生活が営まれていたようです。竪穴住居址を調査すると、時には紡錘車という糸紡ぎの道具や鉄の加工具、あるいは石の道具を作る際に出る石くずなども発見されるので、竪穴住居の中では布を織ったり、木や石の道具を作ったりもしていたようです。


掘立柱建物

弥生時代の集落遺跡を調査すると、柱跡が発見されます。それらの並びぐあいから、銅鐸や土器に描かれている高床の倉庫の跡ではないかとみられるものもしばしばみられます。

最近では、高床倉庫の建築部材と考えられるも発見され、復元されています。

▲住居跡

▲弥生時代の住居

▲中から

平面の長さが約10m、幅は約8mあり、これまで発見された竪穴住居址としては非常に大きな部類に入ります。

▲橋をわたって行くと↓

▲復元された高床式倉庫2009.1月

▲高床式倉庫

収穫された米などは高床式倉庫や貯蔵穴に蓄えられる。高床式倉庫は出土状況をもとに復元された。


村の生活

弥生時代以降、津山は農業を基盤として発達してきました。江戸時代に津山城が置かれてからも、城下町は周辺の農業集落を背景として成り立っていました。明治時代になってからも、近代産業の発達はたち遅れたため、交通の要衝(ようしょう)という位置をいかし、周辺の農業収入を背景とした商業を特に発達させてきました。

第二次大戦後は、この農業が凋落(ちょうらく)の一途をたどったため、それにともない津山も徐々に活気が失われてきているというのが現状でもあります。

農業の永い歴史をふりかえり、それを支えてきた村とはどのような仕組みで成り立っていたのか、また、どのように運営されてきたのかをここで再認識していただき、新しい津山のありかたを考えるきっかけにしていただければ幸いです。

                                                       津山弥生の里文化財センター