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ねり天神、泥天神のお土産

|津山ねり天神|作州の泥天神久米の泥天神津山の泥天神

津山ねり天神(つやまねりてんじん)


1 特 徴

学問の神様といわれる菅原道真公がモデルの「津山ねり天神」は、男児誕生の初節句の雛人形として、また進学・就職祈願等の縁起贈り物として作られている、全て手作りの民芸品です。菅原道真は、美男で頭が良く、学問、歌、書に優れており、そのように成長して欲しいという願いが込められているのです。
作州では、旧暦の3月3日に天神様(菅原道真公)をまつる男の子のひな祭りの風習があります。
ねり天神は、泥を固めただけで焼いていません。なぜなら、古くなったり壊れたりした人形は、川に流し、自然の土にかえるように、焼き物にしないという風習があるからです。
かつては等身大の大きなものでしたが、現在は小型のものが主流で、首がさし込み式になっているのが、「津山ねり天神」の特徴です。


2 歴 史     
美作地方では、古くから男子の誕生を祝って天神様を贈り、お祭りする民俗行事があります。
菅家七流の一つ、植月家では5代目右衛門が菅公の木天神を作り次いで6代目伊右衛門(1742〜1802)は土練りの天神を作り希望する者に配布していました。7代目の清六の代に京町に屋号・栢屋と称して泥天神の製造販売を本業とし、以来津山天神の基礎が出来上がりました。 この由緒ある伝統行事も時代の推移と天神様の制作者の激減からすべて消え去ろうとしており、こうした文化的遺産である伝統工芸や民俗行事の伝承と保存のためユニークな土芸手法(手作り)により、伝統を守っています。 昭和63年4月には、岡山県伝統的工芸品に指定されました。



3 製 法
製造方法は、粘土→粘土ねり込み→人形原型→乾燥→原型へ粘土詰め→自然乾燥→磨き上げ→着色→仕上げ→製品、の順です。
(1) 粘土ねり込み:津山産の粘土に強度補強のため和紙を混入して一定の固さにねり上げます。
(2) 人形原型:手作業により人形の原型を作ります。
(3) 乾  燥:自然乾燥のあと、陶器焼釜で焼き上げます。
(4) 粘土詰め:原型へ粘土を詰め、型出しをします。
(5) 自然乾燥:取り出した人形を「どぶ」で付着させた後、夏期で4〜5日、冬期で10〜20日間、日陰で自然乾燥させます。
(6) 磨き上げ:乾燥した人形の荒を取り除き、布で磨き上げます。
(7) 着  色:7色の絵の具により着色します。面相書きには面相筆を用います。
(8) 仕上げ :人形の台座、刀等の付属品を作り、仕上げます。


【製作・問い合わせ先 】
 山根工芸社
 〒708-0065 津山市新魚町61
 TEL.0868-22-8050

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◆作州の泥天神

(土[粘土]を焼かずに生土のまま固めてつくられている人形は、 泥人形と呼ばれています )

県の北部を昔は美作国(みまさかのくに)とも作州とも呼び、大型の土製天神が各地で作られていました。この地方では、三月の節句には、男の子には菅公の徳をしのび泥天神を、女の子には雛人形を贈る風習があったからのようです。
泥天神は植月村(現、勝田郡勝央町)を発祥の地として、津山、久米(くめ)などの集落で作られ、ひっくるめて「作州の泥天神」と呼ばれていましたが、現在では、津山市久米町の「泥天神」だけとなりました。

この地方の天神は、素焼きをしない生土で作られましたが、これは三月の節句に天神を飾った後、流し雛のように川へ流す風習があったからです。川に流された天神は、焼かれていないので自然に水に溶けて跡かたもなくなってしまいます。これを土地の人達は、天神様が土に帰ったと呼んでいたそうです。

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◆久米の泥天神

地名から宮尾の泥天神とも呼ばれている

この天神は3段の立派な台にどっかりと座っています。いまはあまり大型は作られていないようですが、一番大きなものを大看板といって全長が130センチもあり、続いて別看板、並看板、頭(ず)なし、まれ、一番〜五番の14センチまでの種類があります。
この天神の製法は次の津山練り天神と同じ手法で、粘土に和紙を混ぜて練り上げものに、彩色してあります。
制作している岸川工芸社では、このほかに、「鯛乗りえびす」「熊乗り金時」「福助」「子持布袋」なども作られています。

【 制作者】
岸川留代「岸川工芸社」
久米郡久米町宮尾172 TEL:0868-57-3811

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◆津山の泥天神

津山の泥天神は「練り天神」ともいって、粘土に和紙の繊維を練り込み、前後二つの型で天神の胴を抜き、なま乾きのところで型から抜き出し、前後を和紙で貼り合わせて乾燥し彩色します。頭部は差し首になっていて、別に作り仕上げてから胴に差します。
津山の天神は、かっては何人もの制作者がいたようですが、今は「山根工芸社」の山根正子さんだけとなりました。

▼制作中の山根正子さん
津山のねり天神
美作の風土と歴史的背景の中で、庶民が生み育てた純粋の伝統工芸と民俗行事の復活を。
お子さまのすこやかな成長を祈って津山ねり天神!!学問の神様天神様(菅原道真公)を。
美作地方では古くから、男子の誕生を祝って、天神様を贈り、お祭りする奥ゆかしく心暖まる民俗行事があります。岡山県北、作州地方は菅原道真公の父が国司を務めた土地柄で人々は学問の神様天神を厚く崇拝しています。いつのころか男の子が天神様のように賢い子に育つようにと、天神様を祭って初雛を祝う風習が生まれました。
全国的にもきわめて異色な工芸手法により、伝統をかたくなに守り続けながら、すべてを手づくりにより制作される天神様は、さきにすぐれた工芸品として好評を博し、昭和天皇をはじめ天皇、皇族への献上からはじまり、昭和51年11月には通商産業大臣表彰と同時に、全国伝統工芸品振興協会長の表彰、同協会の指定作品として、ひろく全国に紹介宣伝されています。また平成2年4月には岡山県知事指定岡山県郷土伝統工芸品として指定をいただき、岡山県ならびに津山市の暖かいご支援を賜り、今日に至っております。

▼津山立びな
津山ねり天神が誕生を祝って贈られたように女子誕生を祝って贈られたのがこの地方の津山立びなであります。誰にでも愛され、また誰にでも作ることができる最も平凡かつ牧歌的雛そのものが津山立びなであり、そのことがひろく愛されている由縁です。


●独特の製法
「泥天神」ともいって、粘土に和紙の繊維を練り込み、前後二つの型で胴を抜き生乾きで型を抜いて、素焼きせずに、前後を和紙で張り合わせ、乾燥して彩色する。頭部は差し首になっているので別の型で作り、胴に差す。

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