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津山市 城東地区 見どころ

城東地区散策 3時間コース

「1時間コース」コースに「寺下通り」をセットにした味わいのある3時間の散策コースです。このコースでは<さがす>をテーマにしました。何を「さがす」の?・・・・お寺を巡り色んな墓を探したり、高台からの景観をお楽しみ下さい。
 
作州城東屋敷苅田酒造東路地苅田酒造河野美術館作州城東屋敷大隅小路箕作阮甫旧宅城東むかし町家東新町界隈 + 寺下通り
寺下通り ●寺下通り
大信寺の西から蓮光寺までの約300mが寺下通りです。城東地区は、津山城の防備のために城下の西に設けた「西寺町」に対して「東寺町」と呼ばれ、森藩の時代には津山城下34ヶ寺の内10ヶ寺が城東地区にあり、現在も7ヶ寺が残ります。丹後山の山裾に建立された、大信寺・本蓮寺・千光寺・蓮光寺の参詣道として、上之町通りの北側に寺下通りが設けられました。現在では南北に道がつけられ、上之町通りから各寺に行けるようになっていますが、創建当時は寺下通りの東西道しかありませんでした。ここでは、ひっそりと佇む各寺の紹介と情緒溢れる寺下通りをご案内します。
 
寺下通り
 
千光寺 蓮光寺 千光寺は、枝垂れ桜の名所として知られています。夜はライトアップされ、美しさを一層際立てます。 山門の入り口には「子授け地蔵」があり、一体を持ち帰り、子宝に恵まれたらお礼にもう一体を添えてお返しします。
寺下通り 見どころ
 
墓いろいろ

「樽墓」は墓碑に「好れし酒も菩薩ぞ山ざくら」と刻んでいます。
「槍墓」は津山松平藩の譜代の家臣本多監物・貫一虚空居士の墓で、子孫も重用され年寄役についています。

浅本鶴山...... 浅本鶴山は放浪の陶工、南蛮焼の名手として高く評価されています。大信寺には自然石に「陶碑」と刻んだユニークな墓があります。また本堂の扁額が「広開浄土門」と陶器製の文字で作られているのも彼の手によります。(大正13年)鶴山は明治18年(1885)津山で生まれ2歳で陶工の浅本房吉の養子になりました。放浪、修業の後昭和11年頃津山に帰り作陶し多くの作品を残しました。上之町の浄円寺には三彩の見事な火鉢が残ります。
赤染部氏...... 森忠政が美作入国の時、美濃から津山に移住し、津山城の瓦を製造し、初代九郎左衛門は30人扶持と瓦工場を藩からもらいました。松平藩になってからも城の瓦製造を引き続き命じられ、森・松平藩の藩御用瓦師を務めました。墓は蓮光寺にあります。また、城東地区にある13の小路の東端にある「瓦屋小路」は赤染部氏と瓦工場があったことに由来しています。
直 頼高...... 直頼高は安政6年(1859)の生まれで、大隅神社の神官小原家をつぎました。大隅神社の西に住み、梅の木を多く植えて「梅の下宿」と呼んでいました。国学、漢籍を学び、祭式を習得し、大隅神社と徳守神社の神官も兼ねていました。和歌、和文に長じ書も巧みで、尾上八郎(柴舟、歌人として有名)は少年のころ頼高から和歌の指導を受けました。元の住まいの庭に歌碑が建っています。
 
 
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