美和山古墳群

▲国指定史跡 美和山古墳群(指定年月日 昭和52年3月8日 指定面積 32,025㎡)
美作地方最大の前方後円墳を含む古墳群です。北から1号墳(胴塚)(前方後円墳、全長80m)、2号墳(円墳、蛇塚、直径34m)、3号墳(円墳、耳塚、直径37m)と60年度の確認調査で発見された6号墳(円墳、直径16m)の4基の古墳で構成され、地元では「伝説」にもとづいて、それぞれ胴塚、蛇塚、耳塚と呼びならわしています。
  1、2、3号墳とも、墳丘斜面を直径30センチ程の葺石で覆い、円筒埴輪や器財型埴輪が用いられていることが分かっていますが、埋葬施設などはいずれも未発掘で分かっていません。 
  各古墳の大きさや、発見されている埴輪、古墳の形などから考えて1、2、3号墳は、古墳時代前半期(4~5世紀)にこの地域で勢力をのばした豪族の墓であると考えられます。
  また、戦国時代(14~16世紀)この地に美和山城が築かれていたことが文献にしるされていますが、1号墳の東西の張り出しはその美和山城の土塁の跡とみられます。

2009.8.16取材

▲南入口から登る階段

▲西入口にはトイレがあります。


 美和山古墳群とは

 二宮の向陽(こうよう)小学校北東の丘に、美和山古墳群があります。その中でひときわ大きい胴塚といわれる前方後円墳は、長さが80メートル、高さは後円部で10メートルあります。4世紀につくられた、美作では最大級の古墳です。

 この古墳は、多くの人々が山をけずり、土を盛り、吉井川から石を運び、粘土を焼いて埴輪(はにわ)をつくり、何年もかけてつくられたに違いありません。古墳には、鏡や玉や剣(刀)などが、死者と共におさめられていると思われます。

 このころの人々は、自然の神につかえ、作物の豊作を祈るまつりごとを行う特別な力をもった首長だけが、クニを治めることができると信じていました。この特別な力で人々を働かせ、戦いにかり立てていたのです。この首長が亡くなると、次の首長が特別な力を受け継ぐまつりを行いました。これが古墳づくりのはじまりといわれています。

 胴塚は、この地方を支配した豪族の力をあわらしたものです。


 美和山古墳群がつくられたころ

 3世紀の後半から4世紀ごろ、近畿地方から北九州にかけての支配者たちは、富と力をたくわえて、前方後円墳と呼ばれる巨大な墓をつくりました。市内ではこのころ、日上の天王山や、二宮の美和山、高野山西の正仙塚(しょうせんづか)などの前方後円墳がつくられています。

 5世紀には、東北地方南部から九州まで古墳がつくられるようになりました。

なかでも、奈良県、大阪府、岡山県には、巨大な前方後円墳がつぎつぎとつくられました。

 津山には、椿高下の十六夜山古墳(いざよいやまこふん)があります。6世紀になると、各地に小形の円墳群がつくられました。

 近畿の豪族たちの中心ななっていた王は、大王(のちの天皇)とよばれ、その力は、東は関東から西は九州にまで及んでいきました。

 古墳がさかんにつくられた4世紀から6世紀を、古墳時代といいます。

7世紀になると、古墳がつくられなくなり、豪族たちは、寺などをつくりだしました。

▲トイレです。


史跡 美和山古墳群

 津山市民は、美和山古墳群を、美作地方の代表的な古墳群として守ってきましたが、宅地造成で、この附近一帯が壊されることがわかり、市が土地を買い取って、1977年、国の史跡として指定を受けました。

 さらに市は1984年から8年間かけて史跡公園として整備し、市民が文化遺産に親しむと共に、いこいの場となるように工夫しています。

▲西入口から

▲西入口の説明板

▲6号墳です。
 昭和60年度の確認調査で周囲に掘られた溝の跡が発見され、本来は、直径17mほどの円墳であったことがわかりました。
 出土品は発見されなかったのでつくられた正確な時期などはわかっていません。
 東西両側から畑の造成で削りとられ、当時は細長い高まりとして残っていましたが、平成2年度の整備工事で、削られた部分に土を補い、もとの形にもどしています。

▲2号墳説明板

▲2号墳(蛇塚)
 墳丘斜面に段をつけ、2段に築きあげた直径34メートルの円墳で、高さ6.5メートル、墳頂の平坦な部分の直径は12メートルあります。葺石とみられる転石がところどころで露出し、円筒形の埴輪破片も採集されているので、墳斜面には人頭大の河原石が敷き固められ、円筒埴輪列が巡らされていたものと考えられます。
 墳丘の2段築成とあわせ、大型古墳のあり方をよく示している古墳です。

▲2号墳

▲1号墳と休憩所

▲休憩所

▲1号墳の説明板

▲1号墳

▲1号墳にある土塁の跡

▲1号墳の周囲には道が設けてありますので、ぐるりと回れば市内一望できます。

▲南入口の看板

▲南入口の石段

▲3号墳です。

 丘陵南端に位置する円墳で、径36メートル、高さ6.5メートル、墳頂の平坦な部分の直径は13メートルあります。
 墳斜面を人頭大の河原石でおおい、円筒形埴輪破片が採集されていることから、二号墳同様埴輪列が巡らされていたと考えられます。
 本古墳の南側で道路建設の際、埴輪円筒棺を用いた埋葬施設が調査されており、これも三号墳に伴うものと考えられています。
 また、古墳北側には幅10メートルほどの濠状の凹地がありますが、これも古墳築造時の加工の様子を示しています。

▲3号墳の説明板

▲3号墳の西側

▲3号墳の南にある桜の木

▲緑が鮮やかな木です。

▲椿の木々

▲3号墳の立派な椿の木

▲2,3号墳の周囲は椿の木が沢山。


▲1号墳から市内を眺める

▲1号墳から市内を眺める