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石切場跡

▲石山(大谷)の石切場跡(2009.4.12取材)

 津山城の石垣の石材は、大谷や金屋一帯の山から切り出しました。石山(大谷)の石切場跡は、石山寺の境内に巨大な岩盤が露出しており、その岩盤に石を切り出す時のくさび(矢穴)の跡を明瞭にとどめています。
平成14年5月には、津山市重要文化財に指定されています。

つつじが綺麗に咲いて

▲さくらのイルミネーションはこの地に設置されていました。


 津山城の石垣の石材は、大谷や金屋一帯の山から切り出しました。
石山(大谷)の石切場跡は、石山寺の境内に巨大な岩盤が露出しており、その岩盤に石を切り出す時のくさび(矢穴)の跡を明瞭にとどめています。
平成14年5月には、津山市重要文化財に指定されています。


大谷石切場での刃傷事件

 慶長13年(1608)10月、大谷村石山の採石場で、藩の重臣である各務四郎兵衛と小沢彦八が喧嘩となり、巻き添えとなった細野左兵衛までみんな死んでしまうという事件がおきました。この事件が伝わると、おのおのの配下の武士たちが武装してそれぞれに参集しました。この3氏の屋敷は城郭内の内山下にあって、付近一帯は大変な騒ぎになりました。
  家老・大塚丹後は直ちに6つの城門を閉じ、適切な処置を行ったため、大事には至らずこの一件は収束しました。当時、江戸にいた藩主・森忠政は、この報を聞いて大いに怒り3氏の家を取り潰しました。
  この刃傷事件のあった場所は後に「喧嘩谷」と呼ばれるようになりました。

(津山市HP一部抜粋)

▲石切場跡

▲石切場跡

▲石切場跡の石仏

▲石切場跡

▲石切場跡

▲機関庫もすぐ下に見えます。

▲上り口は石山寺山門の近くです。

▲石切場跡へ登る道

▲頂上にはイスがあります。

▲石切場跡のお地蔵様

▲神楽尾城跡もさくらが咲いています。

▲鶴山公園はさくらが満開でした。

▲市内が良く見えます。